まだ熊本の興奮冷めやらぬな朝を迎えておりますが
ちょっとクールダウンな記事を書きます。

昨日帰宅して、さぁ寝ようかって場面で、長男から電話がかかってきました。


長男はこの熊本講演会の日曜日、帰宅していました。

わたしがいないときに帰宅すること、なぜか悪いな~と思っちゃいますね。

本人はわたしに会いたいのか、兄弟に会いたいのか
ただ、実家という場所に戻りたいのか

いろんな理由があるとは思うんですけど

そこに自分がいてやれない。

ご飯作ってあげられない。

洗濯物を溜めてきていたらやってあげたい。


とかね^^


あるわけです。


でも、ありがたかったのは、喜んで兄弟たちに夕飯を作ってくれていたらしいこと。

勤めているお店にあるメニューを作ってくれていたらしいです。


で、電話があったので、なにかわたしに言いたいことがあるのかな?
そう思ったら

「めっちゃ、しょうもないことなんやけど~」

って言いながら、話してくれました。


仕事場である久しぶりに会った先輩と、二人きりでまかないを食べていたとき

自分の小学校時代(朽木・針畑で住んでいた9年間)の体験をいっぱい話したそうなんです。





本気でいちから作るお米作りの授業
※これは田植えあとの、どろんこ競争、どろんこプロレス


田んぼにはヒルがたくさんいて、20匹くらいから吸血されて遊んでいたこと。





美しい川で遊んでいたこと。

魚を取って焼いて食べていたこと。






雪の量、橋の上からジャンプしたり。


薪でお風呂沸かしていたこと。



和太鼓の授業があったり

自然探索な授業ばかりがあったり






もう、さまざまな体験が話しても話足りなくて

それを先輩がとても喜んでびっくりして聞いてくれたんだそうです。




で、ふとよく家族で一緒に見た、「北の国から」の場面を思い出したんだそう。


純がシュウと付き合っているときに、彼女に子ども時代の話をしている場面。


自分もこれから誰かと付き合ったり

子どもが生まれて家族ができたりしたときに

ず~っと話せるネタがあること。


「お母、ワシ、針畑に住めて、ほんまによかったと思うわ~」

「だって、あとワシ60年生きると思ってみ? 何回このこと話せると思う?」


そう言ってくれたんです。




わたしもね、ちょうどそんなことを思っていた時期で、土曜日に朽木に里帰りしたとき

子どもたちを通わせていた小学校はなんてなんてすてきな学校だろうって再確認していたし

自然の美しさは、今住んでいる伊賀は敵わない。

とことんまで

究極に

自然だったし

そこで体験したことも

すべて究極に

自然でした。


多分に貧乏も、苦しさも、寒さも、感じきった9年ではありましたが

その感情たちも体験の添え物として、輝きをましてくれているんですよね。



そのことをとても感じていたから

長男のこのメッセージはとても嬉しかったのです。



伝えてくれることが、とても嬉しい。




わたしは、あの9年間をとても誇りに思っていて

あんな山奥でなんのツテもなく

仕事も決めず、なにも決めず

だけど、暮らしを作り、とことんの貧乏をし

そこから這い上がってきた体験があるから

これからの人生に何が起こっても大丈夫っていう

底な9年間だったんです。


底を生きるって

その当時はつらい。苦しい。

光も見えず、希望もなく。




だけど、宝物に変わった☆.。.:*・



だから、ぜんぶ大丈夫って思うのです。


これからも、そのことだけを発信していきたいな。


そう思えた夜でした。