だんだん影響力が大きくなってきたから、こういう話題避けてたわ、と気づきました。


もう消しちゃったけど、以前持っていたブログには

病気に対する考え方

予防接種のこと

いろいろ書いてたんですよね。


でもね、こういう問題って、思い切って自分の意見を書くと

猛烈な反対意見が来たりして

それがめんどくさくて、最近書いてなかったんですよね。



芸能人の二人の女性が、ガンを発表したり、ガンで亡くなられたり

そのニュースをたまたま昨日休みだった夫と見ていたこともあり、考えさせられました。


病だけでなく

人生で起こる一見、「ありがたくないこと」はギフトなんだってことを

思えているのと、思えていないのと、天地ほど違う結果を生むんだろうなって思うんです。


ガンでいうと、決して闘うべき相手ではなく

共存していく「わたし自身」の一部であると思います。


ガンという目に見える形が形成されるまで、滞りを無視してきた結果だと思うんです。


「滞り」はもちろん、体を流れる血液の滞りでもあるんですけど

もっと大きな意味も含んでいます。


「本当の自分」を生きることが滞ってる状態、だと思います。


ガンとして現れる前に、もっと小さなサインとして、あったはずなんですよね。


それに気づけなかったり、気づいても無視してしまったり

生き方の上ではドラマチックな設定をしてきている方もいると思うので

決してガンになった時点で終わりではなく

むしろスタートである気がしています。


無条件の愛って、親子間で使われたりするんですけど

体からわたしへの愛はいつも無条件の愛です。


だから

体からのメッセージは無視しません。


もちろん、過去に散々無視しつづけてきて、うまくいかなかったし

声を聞くようにしてたら、うまくいくようになったから

その程度の根拠でしかありませんが。


わたしの中では絶対なんです。



世の中にはさまざまな情報があって

調べれば調べるほど、わからなくなることって多くて

それは健康に関することも、子育てに関することも、生き方に関することも、なにもかもで


そんなとき、なにを信じていいのかわからないなら


自分を信じればいいと思うんです。


自分の嗅覚です。


自分のアワとも言えます。




これは、これまでいろんな場面で悩んできながら、最後に見つけた方法でした。


それは生き方ともいえると思うんですけど


最後にどういう人生だったら後悔しないかな?


それに尽きると思うんです。



わたしはそのとき思ったんです。


誰かの言うとおりにして、失敗して、誰かのせいにする人生より


自分の思ったようにして、失敗して、自分で責任を取るほうが、楽しいって。




死ぬときに人がするほとんどの後悔は

自分の思いを遂げなかったことらしいです。


失敗しても、自分の思いを遂げたことを、人は後悔しないそうですから。



わたしの生きる指針です。


だから、わたしはマンモは受けないし

ガンになっても抗がん剤治療は受けないし

子どもに予防接種は受けさせないし



最低限の病院との関わりと

楽しい食事と

笑い合える関係性で

自分を守れると思っているし

家族も守れると思っているんですよね。



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FBでたくさんシェアされていた素敵な話。


世にも美しいガンの治し方