先日の「きっとオーガ✩ズムが変わったのだと思う」にもちょっと触れましたが

生き方とは性癖

性癖とは生き方



そう思うんですよね(^_-)-☆



だからね、セ ックス楽しんでいないと、自分ってものがどう生きたいのか?わかりにくいんだと思います。

逆もそう。

どう生きたいのか?がわからないのなら、自分のセ ックスを見直してみればいいと思うんです。



セックスって、欲求の一番わかりやすく出る部分です。



どんなセックスが好きなのか?

それって、どんな生き方が好きなのか?に似ています。


生きるための燃料って、欲求だと思うのです。

・こんな風になりたい

・こんなことをしたい

・誰とどうなりたい


そこに対して

自分がどこまで素直に行動してるか?


それがまさに生き方そのものだと思います。




自分の中にあるどんな欲求も認め

それを表現して生きる人は、それを手に入れる力があると思うんです。



わたしたちは欲求に蓋をすることを覚えて生きてきました。

それは主に親からだったりするのですが

・わがまま

・ぜいたく

・我慢なさい

・バカみたい

・笑われる

・十分でしょ


そんな言葉を言われ続けてきてると、欲求を表現することは危険なことだと思っちゃうんです。




自分の欲求に忠実に生きることをあきらめ

外側から正解をもらえる生き方を探し始めます。


欲求はあきらかにお腹のあたりで燃え盛っている。

なのに、叶えない。蓋をする。

こんな若い頃はもれなくみんな過ごしてきたとは思うのね。



でも、お腹でくすぶり続けさせた欲求は、もう出たくて苦しくてたまらなくなります。


そんなときに、出処を見つけ出すべく、現実って動くから

病気になったり

事故にあったり

貧乏したり

人間関係がおかしくなったり


もう我慢ならなくて、動かざるを得ない状況を

自分で作ってるとも言えるし、宇宙が与えてくれるとも言えるし

どっちの言い方しても、結局同じなんですけど、そうなるんですよね。



で、欲求をちゃんと認めて表現しだしたとき

また子ども時代に持っていたような輝きを放ち始めるんだと思うんです。



さっきも書きましたけど、「~したい」「~なりたい」っていう欲求は、生きていく上での燃料です。

燃料をガンガンに燃やしている状態って、エネルギッシュなわけですよ。

エンスト起こしてたり、不完全燃焼している状態と違ってね。



でね、欲求を開放しだしたら、個性が出てくるわけですよ。

いわゆる、ありのまま、ね。




それがね、わたし性癖と同じだと思ってるの。


ノーマルが好き?

アブノーマルが好き?

縛られると快感?

いじめてるのも快感?

しちゃいけないことに燃える?

見られることに燃える?

激しいのが好き?

まったりが好き?

求められるのが好き?

誘うのが好き?

喜ばしたい?

喜ばせてほしい?

焦らす?

せっかち?

たくさん欲しい?

充実度が大事?



ほら。

セ ックスと生き方と繋がってない?



答えはひとつじゃないはずです。


こんなときもあれば、あんなときもあり、たまにこういうの好き。


それらがあなたの本来の生き方ではないですか?

あなたのありのままではないですか?




でね、最初に書いたように

セッ クス楽しめている人は、自分をよく知ってる人なんです。


セック ス楽しめてない人は、自分の欲求のタイプを自分で掴めていないと思うのです。


タブー感



気持ちよさの追求



背中合わせであるセ ックスにこそ、出やすいと思うのね。



食欲も生き方に似てると思うんですけど

タブー感が薄い分、つかみにくいのかなって思うのです。

当たり前にしていることの中じゃないところに

あなたがまだ見つけていない自分が隠れていると思うのです。



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