学校やお勉強についても書いてみたいと思います。
2年前、次男が不登校になって
そのときから、いろいろ感じてきたことがあります。
「それってホント?」のところで触れられなかったけど
子育てしていくなかで、ある年齢から大きく子供たちを支配していく時間に
学校と勉強ってあると思うんです。
わたしは次男が不登校になる前から
「学校に行かない」選択があるんだってことを出会いの中で知っていきました。
「ホームスクーリング」といわれる、おウチで子どもたちを育てていくことを自主的に選択している人たちでした。
そこの子供さんが、とにかく素敵だったのです。
これ、学校行かない方がいいんでない?って思うくらいに、素敵だったから。
どんなところが素敵だったか?というと
誰に対しても分け隔てのない態度がいれるってことだったんです。
ホームスクーリングの子どもさんは、大人に対しても、小さな子に対しても、同じ態度でいました。
その姿を見て感じたのは
学校に行ってる子たちは「分け隔て」を知っているってことだったんです。
「〇〇組さん」と「△△組さん」は違うんだということや
学年が違うと敬語とか
先生はえらいんだ、とか
そういう「分け隔て」が変にあるんだなぁっていうことだったんです。
全然、学ぶということに関しては、学校だけではないんだなぁと感じ始めました。
むしろ、学校でないほうがいいんじゃないかとも思っていました。
次男が学校に行けなくなったとき
内心は喜んでいました。(へんな親~)
次男と話していくことで、子供目線になって
学校やお勉強のおかしさを感じていくことができたから☆
まず、
住んでいる地域で学校が決められてしまうこと(例外はありますが)
生まれた年で学年が決められていくこと
あっちの先生が好きでも、あの子が好きでも
決められた組で決められたメンバーと一年を過ごさなくちゃいけないこと
まだ絵を描き続けていたくても、チャイムが鳴ったら終わらなくてはいけないこと
お腹が空いていても、いなくても、給食の時間に食べなくてはいけないこと
苦手なことも決められた時期にこなしていかなくてはいけないこと
病気でないのに休むとズル休みだと言われること
答えだけを見て、○×をつけられること
勉強(宿題)をしないと怒られること(誰のためのものなのか、所在がおかしい)
…
まだある気がする♪
もちろん、素晴らしい場所でもあるわけです。
だから、うちの子たちは通っています。
(今は次男も通ってます。)
家ではできない素晴らしい体験をたくさんできます。
お友達と会えます。
親だけでは足りないいろんな部分を先生という大人たちから教われます。
ありがたいこと、たくさん享受しています。
だから、選べばいいんですよ。
その子にとって、ありがたいことと、迷惑なこととの量が違うのだから
選んで付き合っていけばいいと思っています。
たま~に子供が今何を勉強しているのか、聞くときがあるんです。
ふと、たま~に(笑)
それ聞くとね、「あっ、要らないやん、それ」って思っちゃうわけです。
大人になって分数の掛け算することってない。
三角形の面積を求めることってない。
漢字は調べればいい(わたしも今、変換機能がないと書けないもん)
顕微鏡の部分の名前を知らなくても困らない。
織田信長が誰に殺されたのか、知らなくっても笑われるだけ(笑)
そう思えてくるんです。
子供たちが自ら興味を持ったとき
何百倍も違う集中力で知識を取り入れていくことを知れば
順番に与えられていく知識に疑問を感じます。
どの子もみな違うといいながら、
どうして2年生で一生懸命九九を覚えることに必死になる必要があるんだろう。
その子にとってのベストタイミングは、2年生ではないこともある。
宿題をしたがらないことが多いです。
やっと帰宅して、やっと自分の自由な時間なのに、まだ学校の残り香がついてまわる。
楽しい子がすればいいと思うんです。
だけど、やりたくない子はやらなくていいとわたしは思ってます。
そのときも「それってホント?」でした。
宿題ってしなくちゃいけないもの?って。
そうしたら、外国では家に帰ってまで勉強させることは先生の恥だという考え方があることを知る。
学校で1日6時間も勉強しているのに
それでもまだ補う必要があるってことは、教える側の力不足なんですって。
それに、宿題は本人のためっていうなら
本人がするかしないか選んでいいやんって思った。
しなくて後で後悔するのは、本人なんでしょ。
どんなに小さくとも選ぶ権利はあるんだよ>ユニセフの子供の権利条約にあるんですよ☆
宿題ひとつ取っても
どれほどにそのことで家庭の笑顔を奪っているだろうって思う。
「宿題しなさい!」の会話、しんどいよね~。
だから、わたしは一切子供たちと宿題については、話しません。
たまに部屋の掃除していると、ぴらんとプリントが出てきます。
知らないもん。
これは彼らの持ち物だ。
子供たちが困っているときは、わたしもサポートします。
先生との間に入ります。
最初はざわざわしたし、うまく伝えられないことも多かったけど
それらもすべて自分のために使ってます。
自分の軸さえしっかりしていれば
伝わったかどうかなんて、気にならなくなるの。
言い切れたなら、結果はどうでもよくなってくるの。
悔しかったら、自分の技術を磨くしかないって思う!
それはわたしのために起こっていること、でしょ♪
悩むことなんて、何もないんですよ。
子供たちが見せてくれることはすべて、わたしたちへのプレゼント。
見せてくれ
育ててくれてるのは、彼らです。
ありがたくってしょうがなくなります。
今後こちらで聞けます。
8月8日 鳥取
8月11日 滋賀
8月30日 広島
9月29日 横浜
10月12日 大阪
10月28日 群馬
11月1日 熊本
12月27日 三重
1月11日 埼玉
どこかの土地でお会いしましょう~♪
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