次に書くのは、「それってホント?」です。

これ、いろんな子育ての瞬間でわたしが問い続けてきたことです。

子育てしていく上で、さまざまな情報が氾濫していて

大切な子供たちを守るために、母親は疲弊していきます。






小さい子はいろんなものに興味を持つって前の記事にも書きました。

触ってほしくないもの、触ります。

そのとき、聞くんです。

「それってほんとに汚いの?」

土って汚いの?

おしっこって汚いの?

水溜りって汚いの?

落ちた食べ物って?

草って?葉っぱって?石ころって?

そう問い続けたとき、わたしはもっと汚いものを見つけていったんです。



じゃあ、除菌除菌っていうけど、石鹸は?食べられる?

洗剤は?口に入れられる?

農薬のかかったお野菜は?

添加物は?

水に入ってるフッ素は?

空気中にあるいろんな微粒子は?

そう思っていくと、こっちのほうが怖いわけです。



でも、わたしたちは否応なく、これらと共に生きています。

なら、自然にある土や水や泥や、そんなものが汚いものって思わなくなりました。

この感覚の変化だけでも、怒らなくて済むようになるんです。


いろんな口にすらできないような物質たちと生きているんだから

「少々のことではわたしたちの体は傷つかない」って信頼です。






喧嘩って止めたくなりますよね。

でも、喧嘩ってほんとにダメなの?って問います。


「みんな仲良くしましょうね」って大人は言います。

「それってホント?」

じゃあ、みんなと仲良くできない自分に気づきますよね。

気づくと恥ずかしくって、そんなこと言えなくなるんです。


それと同じで「好き嫌いなく食べましょうね」って言いますが

じゃあ、「わたし嫌いな食べ物あるじゃん」とか。

めっちゃ偏食で健康な人に出会うとか
逆にマクロビしてるのに、不幸そうな人に会うとか(笑)


子供が感情的になること。

地団駄を踏んで怒る。

泣き止まない。

そんな激情を見ていると、ついつい収めなくっちゃって思います。

でも、ホント?

泣くことはいけないことなのか?

怒ることは?

誰のために、収めたいのか?

本当は自分が見ているのが苦しいだけだったり。

人目を気にしているのだったり。

ここで泣き続けるだけ泣かせてあげる選択肢はないか?に移行していけるんです。

場所を変えて、泣き続けさせてあげれたりね。


じゃあ、テレビは?
ネットは?
ゲームは?

たしかに子育てにとっては、避けて通れなくなってるアイテムたち。

よくない情報はたくさん聞こえてきます。

でも、子供たちは大好きです。

ここで、子供たちを信頼してみたいってムクムクと思ったわけなんです。

この子たちがこんなに夢中になるものが、本当に悪いものなのか?

そういう視点を一度入れるとね
例外が見え始めるんです。


ゲームばっかりやってた引きこもりだけど、今素敵な大人になっている人に出会いました。

そのときに、ゲームで人生勉強してたんだって話を聞けたりね。

悪いことばかりじゃないってわかるんです。




こうして、いろんな子育ての情報が氾濫するなか

ひとつひとつ選んできました。

「それってホント?」

その次に「わたしにとっての快である選択は?」です。



テレビを見せっぱなしにしてると言葉が遅いとか、
コミュニケーション能力が発達しない、とか言いますが

わたし自分の時間が欲しいとき、末っ子に関しては見せっぱなししてました。

でも、全然言葉遅くなかったです。
コミュニケーション、ぜんぜんOKです。

好きなテレビから、歌を覚えたり、言葉を覚えていってました。

わたしはわたしでテレビに助けてもらいながら
思いっきり自分の時間を持てるので
ストレスが溜まらないのです。

だから、その後、心から思いっきり関われました。


でも上の子のときは、罪悪感とともにテレビにお世話になり
だから、無理してテレビ以外のことで過ごそうとして
しんどくても外遊びに連れていったりしてました。

で、ストレス満載で、ヒステリーでした。



だから、これらとの付き合い方は
まったくの「ママ軸」で決めていっていいんだって思ってます。




うちのルールとして、中学生になったら
寝る時間からゲームをどれだけするか、から
勉強するか、しないか
それより学校へ行くか行かないか
すべて、自分で選ばせています。

そうしたときに、初めはゲームに熱中していました。

ちょっと言いたくなるくらいに熱中していました。

でも、ぐっと信頼していったんです。

するとね、熱中と熱中の間で、やっぱりほかのことにも熱中していくんです。

だってね、熱中することって、集中力をつけていることなんです。

誰だって「集中力が高い」ことはいいことだと思ってます。

だけど勉強だけ集中して
ゲームや漫画には集中しすぎるなって、これ勝手すきるでしょ。





「バランスのよい」人間をいいと思ってしまいます。

勉強でいえば、算数も国語も、体育も図工も
全部、そこそこできたほうがいいってことです。

でも、本当に?

そこそこって、食えるの?

わたしは社会に出て、一番あれば得だなぁと思うことは「愛嬌」だと思ってるんです。

「愛嬌」があって
何かひとつ得意なことがあれば、この世で食っていけるって思ってます。

逆になんでもそこそこできて、人間的に可愛げのない人、想像してください。

あなたが社長なら、どっち採用しますか?って話です。

だから、子供たちが興味を持つこと

その順番

その種類に親が口出しをできるだけしないことなんですよ。

それが一番集中力をつけてあげられるし
生きていく糧を身につけていくことになるんです。





今までの自分の人生を振り返ったとき
よかった経験も、よくなかったような経験もすべて宝物になっていると思えるなら

子供にとってもそうなはずなのです。

子供を信頼すること=自分への信頼です。


子供に対して「こんなことでは将来心配」と思うってことは
すなわち、それ、自分です。



「ダラダラしてては将来ダメになる」って思うってことは
あなたが「ダラダラしてて今ダメな人間だ」ということなんです。

あなたが自分に対して、信頼できていないだけなんです。

ダラダラしてても、好きなことがひとつだけあって
それで立派に生きている人、いますから☆


なんか、まとまらなくなってきた(笑)

でもね、子育てで困ったときは
「それホント?」に限ります。

そういう視点を持ったとき、例外を知ることができ
新たに選択しなおせます。







今後こちらで聞けます。


8月8日  鳥取

8月11日  滋賀

8月30日  広島

9月29日  横浜

10月12日  大阪

10月28日  群馬

11月1日  熊本

12月27日  三重

1月11日  埼玉




どこかの土地でお会いしましょう~♪



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