今日、近所で鶏をたくさん飼っていて、卵を分けてくださるお家に行ったときのこと。
そこには90歳のおばあさんが住んでいます。
ご長男と住んではいるものの
息子さんは町にいる家族と、そのおばあさんの家の二重生活をしているので
半分、一人暮らしのようなものなのです。
私はたまに卵を買いにいくことで
顔を見せたり、末っ子の成長を見せたりして
おばあさんが少しでもさみしくないように、って思っているところがありました。
おばあさんもやはり私が顔を見せると喜んでくれているようだし
少しはお役に立てているのかと思います。
でもね、今日こんなことを初めて聞いたんです。
これまで聞かなかったのに、今日聞いたということにも
すごく意味があるような感じがします。
おばあさんに「寂しくないですか?」って聞いたんです。
すろとね
ビックリしたような顔をして
「そんなこと、思ったことない」ってそうおっしゃるんです。
私ね、驚くとともに、自分の考えていたことが恥ずかしくなってね。
勝手に思い込んでたんですよね。
一人暮らしのおばあさんは、さみしいのだろうって。
そして、いいことしている気分、ちょっと味わっていたなんて。
そしてね、その逆のことに
今わたし、見舞われているのです。
ミノの不登校に関して
心配で何かしてあげたい、って言う声が少し周りにあって
私もミノもとまどっているんですよね。
気持ちは本当にありがたいのだけど
まだ時期でないような
そして、何かしてあげたいという声こそがプレッシャーにもなるということ。
私の中でも、ミノの今の状態はとてもよくって
何かをしてあげたいって言われるような状態ではない。
心配は、「こちらに何かが足りない」と思っているからこそ出てくる感情だから
とても居心地が悪くなる。
自分のしていることは、いつか自分がされること。
スピリチュアルな世界ではよく言うことだけど。
だから、このおばあさんの答えはとっても今の私に大きかったんです。
悪気なく、思い込んでいることってある。
よかれと思ってしているけど、ズレていることっていうのもあるんよね。
それで、自分満たしているのだなぁ。
「いいことをしている」という、いい気分を
おばあさんからもらっていたのだなぁ。
これは、いいこと、悪いこととか
失敗体験ってことを言いたいのではなく
与えているつもりが、もらっているということに
気付いたというお話です☆
いつもご訪問いただきありがとうございます☆
そんなあなたに
たくさんの幸せが降り注ぎますように☆