友が大変なとき


どんな思いになりますか?



すぐに駆けつけたくなる


励ましのメールを送りたくなる


ただただ心配する



わたしは違います。



信じて待ちます。



信じているから


そう、できるようになりました。



以前は違いました。



上のみっつを、したくなりました。



大変な友を見ているときに


湧いてくる感情は


自分のものだとわかったから。



駆けつけてほしいのは、自分。


励ましてほしいのも、自分。


心配してほしいのも、自分なのですよね。




自分の感情を友に投影して



本当は友の手をわずらわせてしまっていたのかも、しれない。




駆けつけて、何かを言うと


友の自分で感じるという時間を邪魔します。


メールすると


友は返事をする時間、やはり手を取られているのです。



心配する、という行為は


呪いをかけることだと、ある人が言いました。


「相手ができない」と思うからこそ


心配という感情が湧くので


それは、相手にできないエネルギーを送っていることになるんです。




そんなことに気づきました。



本当の意味で


相手や運命を信じるということ。



なら、できることは、ただひとつです。




自分のことをする。


自分の波動をあげる。


自分の感情を見つめる。



自分のことをする。




相手に求められたときに


万全のわたしで向かえるように


ただただ整えるだけだと、思うのです。