ちゃみ様こんにちは。

ご無沙汰しています。


あれから手術も無事終わり、本当なら先週の水曜日に手術で、


翌日から仕事に行かなくてはならなかったのですが、


土曜に出血がひどくなり急きょそのまま手術となりましたが


三連休ということで三日間ずっと休む事が出来ました。


赤ちゃんが助けてくれたんだなぁと…思いました。


麻酔から覚めた私に主人は「お前ばかりに痛い思いさせてごめんな。」と苦しそうに言い、


「これ持っときな。」と私のてのひらにブレスの浄化用に自分の鞄に入れていた水晶を二つ握らせてくれました。

私はその時に私の事をこれ程わかってくれる人はいないなぁ。と心から思いました。

こんな事してくれる人は主人しかいないと。


それほど水晶を手に握っていられた事は私にとってとても心強いものでした。


麻酔をかける直前…今まで冷静に振る舞っていた私の目から涙が流れ落ちました。

ダメだと言われた瞬間に立ち会ってくれていた主人も悲しんでくれているのがわかりました。


その時、私も主人も戸惑いながらも不安を感じながらも…


心の底では赤ちゃんに会えるのを幸せに嬉しく感じていたのだときちんと知ることが出来ました。


その時に私は自分の本当の心に安心しました。


赤ちゃんの事を愛しく思う私が居たことに。。

赤ちゃんとさよならをしなければならなくなった時に一番思った事は


それでも私は生きていかなくてはならない。命が有る限り…


悲しくても苦しくても、ご飯を食べていつかまた笑う自分がいること。


赤ちゃんは私に、私の弱さ、ずるさ、情けなさ、そして強さ…たくましさ、生きる意味、


命のある事の奇跡、いろんな事を教えにきてくれました。

私はまた前を向いて歩き出しています。


今ままでよりも高く力強く、心に嘘をつかずに生きていこうと。


そんな自分が前よりもずっと好きです。


赤ちゃんが私が私自身を愛することを教えてくれました。

ちゃみ様のリトリートの記事を拝見して、


私がずっとどこかで感じていた事がはっきりと目標として浮かび上がりました。


私はこの土地にそういう場を作りたいと。


心も体も解放され…自分でいられる幸せや感動を誰かと共に分かち合いたい。


魂が自由に歌うように踊るようにいられたら…


それはどんな場所でもいつでも…自分が願い行動すればいつでも叶うのですね。


先ずは自分が心から心地よい波動を出せるように。

ちゃみ様に教えて頂いた瞑想は例え一分であろうとも、深く深く…


今まで感じた事のないくらい深い瞑想になることがわかりました。

心が動かなくなることは自分を知るという事なのですね。


自分の声が前よりもっと聞こえるようになりました。


そして…その声を疑う事がなくなりました。


感じた事、ひらめいたこと、全てちゃんと信用してあげることが出来るようになりました。


それも自分を愛することなのだと知りました。

ちゃみ様の一ヶ月ヒーリングを終えて…全て必然だと言われた事がわかりました。


必然だから受け入れる…良いことも悪い事もジャッジしないで受け入れる。


そんな感覚が身についた気がします。

日々変わるのも人の心…だからこそ生きているし生きていく。


ちょっと説明しにくいですが(^^;今はそんな感じです(笑)

やりたいことはやっぱりやろう!と思えた今です。

本当にありがとうございました!


(ご感想をシェアさせてくださいとお願いしたら☆)

はい!ちゃみ様がよければ私もこの経験はシェアしてもらおうと思ってました。

私が今回の事で六度の流産になるという事も一緒に書いて頂けますか?


生まれた命よりも亡くなってしまった命の方が多いなんて…やりきれない気持ちを持っている事。

生んであげられなくて申し訳なくて…


だけど、自分を責めて私が悲しんでたら赤ちゃんが悲しむかもと思ったり…

私の悲しみよりも生まれて来れなかった赤ちゃんの方がどれだけ悔しいか…悲しいか…


そう思うと自分自身悲しむ資格はない。と悲しみを味わう事さえ自分に許してあげられなかった自分がいたり。

そんな思いをしたはずなのに、三人ものお母さんにもなれて…


今回4人目という事で、私が働けなくなったら経済的にどうなるのだろう…と


正直不安の方が先にあったことに育たなかった命に対して、


今も自分の弱さとずるさ…ごめんねの気持ちが襲います。これは一生消えないかもしれません。

正直、いろんな気持ちがごちゃ混ぜになって本当の自分の気持ちがわからなくなってしまっていました。

今までの事も、歩いて行くために自分の気持ちに蓋をして何とか生きてきたような気もします。


だけど今、私は今までの経験を通して、悲しみも幸せも、喜びも怒りも…どんな感情であれ、


隠して蓋してしまうことの方がどれだけ自分を苦しめ傷つけてしまうか…実際に体験しました。

どれだけ蓋をしても…どんな出来事でも、向き合わずにしまいこんだ感情はいつかは出たい!


気づいて!と悲鳴をあげること。

それが何なのかわからない程時間がたとうとも決して命はその感情を忘れることが出来ないこと。


全てはそれに気づくまで終わらない事。

一番大切なのは自分の心の声に嘘をつかず、ありのままの感情を味わわなくてはならないこと。


存分に味わってから、自分を許していく事。



私はやっぱり辛かった!悲しかった!

ごめんね赤ちゃん。


みんなみんな会いたかったよ。


産んであげたかったよ。


何でだろ。


何でなんだろう。

でも、ありがとう来てくれて。


うん。ありがとう。ごめんね、ありがとう。



…これが、今まで私が蓋をしてしまった本当の心です。




綺麗事ばかりある訳でもなく、人から見たら幸せそうに見えるあの人にも、どの人にも、


きっと悩みや辛さは違うけど同じようにみんな何かを抱えながら生きている。


みんな、もがきながらも生きていく。


生きなければならない。。

命があるなら…私はやっぱり泣いて暮らすより笑っていたい。

今ある幸せに気づいていく事。

三人もの命に無事出会えた事。


今生きている奇跡を大切に生きていく事。

それを赤ちゃんが教えにきてくれました。

どうしようもない事もあるという事も知ること、


だけど、どん底の終わりのない闇に見えるトンネルにも、やっぱりいつか終わりもあって光もあること。

正解も不正解もないこと。

その上で生きていく事。

赤ちゃんを失った時、生きている私は…動く事ができる!働く事ができる!喜ぶ事ができる!


どうせ生きるなら精一杯過ごしたい。


そう強く思いました。

私も人間ですから、今日はよくても明日はどうだろう。


だけど、それが人間(笑)

そう開き直ったら自分の弱さもずるさも隠すことなくありのままの自分を愛せたら…


今はそんな風に感じている自分がいます。