今度、京都でパートナーシップをテーマに
個人セッション日を設定させていただいたのですが
おかげさまで一晩でご予約すべて埋まりました。
ありがとうございます。
外に出ていきたいと思ったら
ちゃんとそんなチャンスをいただけ
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そのパートナーシップのお悩みにも
かなりピンポイントで効いてくる話になると思うのですが
先日二日続けてお金が流れていって
(この記事「お金を落とした」 )
しっかり気づけたことがあるんです。
お金もそうだし
人間関係もそう
子育てもそうだと思うのですけど
「自分のものになった」と勘違いするから
そこから悩みが生まれたりするんだなぁって。
自分の所有物だと思った瞬間から
そのものを思い通りにコントロールしたくなり
執着が生まれるのだと思います。
自分のものなのに
自分の思いとおりにならないから
苦しみが生まれる。
お金がなんらかの形で自分のお財布に入ったとたん
そのお金は自分のものだと思います。
いや、思うのが当然だって思っていました。
だけど、自分のものって思っているから
思いがけずの予定外の出費に
「なんで?」「わたしだけ?」みたいな
納得できない怒り、悲しみに襲われるのだと。
お金は自分の財布に入ったからといって
本当に自分のものなのかな?
ただ、流れていく中での
一時休止場所なのでは?
もし、本当に自分のものだと言えるのなら
名前を書いて
どこにも出さないように溜め込んでおくしかないです。
だとしたら
お金が手に入ったとき
本当に自分が手に入れることができる確実なものは
そのお金と共にあるからこそできた
体験・経験だけが
自分のものだと言えるのだと気づきました。
それが子育てだとしたら
自分の持てたものは子供そのものではなく
子供がいることによって
体験できること、経験できたことが
唯一の自分にとっての所有物。
もちろん
それが自分の思いとおりになった体験も
思い通りにならなかったからこその体験も
どちらも重要で。
そこで何を感じ
何を知り
何を得たかというところは
間違いなく確実に自分のものとなっていく。
それだけは
誰からも奪われず
ふいになくなってしまうものではなく
自分の所有物だと言えるのではないかなぁって。
パートナーシップのお悩みも
そこでつまづいている場合は多いのです。
結婚したから
所有物だとまで思ってなくても
自分の思うようにコントロールしたいと思ってしまう。
そのように動いてほしいと思ってしまう。
理想のパートナー像を相手に求めてしまう。
こうすべき
こうあるべき
愛しているなら…
男なら…
それで苦しみを生み出してしまっています。
過去のわたしがそうでした(笑
この肉体を卒業して
あの世に帰るときに
ちゃんと持っていけるものって
きっとそんなものたち。
体験したこと
経験したこと
感じたこと
想ったこと
だから、そこに執着していきましょうね。