「愛される理由」書いたけど

もちろん最初からこんなに愛されていたわけじゃない。


いや、愛されていたのだろうけど。


でも、それを受け取るスペースも持ち合わせてなければ

余裕すら持っていなかった。


頑張っていた。


いろいろな理想があったから

そこに向かって一生懸命頑張っていた。


理想があるから

不足が生まれた。


いつもそこにあった幸せに気づかずに。


頑張れば手に入ると信じて

どんどんそこにある幸せから遠のいていってた。



わたしの価値は

だから、そこにあるんじゃないかって思ってます。


天然自然に愛され上手な

本当にお姫様みたいな女性もいるけれど

その人には「愛されるようになった」プロセスがないのだ。


けど

わたしは最初からうまく愛されてなかったから

プロセスを持っているということ。


それがわたしにある価値。


わたしはそこにどん欲だったのだと思う。


父に愛されていないと思って育ったのも

そのための初期設定だったのかもしれない、とまで思えるようになった。


ちゃんと男の人に愛されたかった。


だからこそ

産んでも産んでも男の子が出てきてくれたのかもしれない。



やっとちゃんと覚悟がつきました。


出し惜しみしていたけど

思いっきり抵抗していたけど

わたしもっと

性のお話をちゃんとしたい、書きたいんだって。


はるちゃんとかカッコイイと思っていながら

お招きしながら

どこかで「性のことは」

自分のする分野でないと思ってた。


月小屋の集いしながら

どこかで「セラピスト」気取りたくて

何がやりたいのか、わからずにいました。


心のことはカッコよくて

性のことはカッコよくないと思っていたのだろうか。


性のブロック、ありありだったのは

本当はわたしだね~。



わたしはずっと

ちゃんと男性から愛されたかったのです。


夫とも、最初からずっとよかったわけではないのです。


これのどこがいいんだろう?

オーガズムってわたしにはないのかな?

どうして夫はわたしの気持ちいいようにしてくれないのかな?

痛いばっかりだよ。


挙句の果てに


もう触らないで!

外でしてきて!


そんな疑問ばかりでした。


それもよかったの。

全部よかった。


だって、そんな女性多いのだもの。

男性もやっぱり勉強不足。


AVなんかで勉強していたら、本当のまぐわいの良さはわからない。


だから

自分が気持ちよくなるために

いっぱい勉強した。

研究した。

コミュニケーションをとった。

恥ずかしいという意識を捨てた。

悪いことだという意識も捨てた。


書き換えて書き換えて

自分が書き変わると夫も書き変わっていった。


これが発電&感電のおもしろいところで。


話し合うだけがコミュニケーションじゃないんですよね。


まぐわっているだけで

いつのまにか

意識の統合がなされていくのです。


次男が不登校になって

夫は最初「ぜったい学校は行くべきだ」って言ってたのに

特に話し合うこともなく

「行きたくなかったら行かなくていい」とか言い出すのです。


これ、本当です。


普段一緒にいなくても

話し合えていなくても

いつも意識のレベルがぴたっと合ってくるのです。


その過程こそが、わたしにある価値なんだって

やっとやっと認めることができたんです



わたしはずっと自分の顔が好きではなかったです。


もっと美人だったら


もっと可愛かったら


もっと得したのに~って思ってました。

ほんの最近まで♪


だけど、やっと自分がね

生まれてくるときに

この着ぐるみ選んできた意味が

自分の中でストンと腑に落ちたのですよ。


はるちゃんみたいに、若くて可愛い子が性のお話してても素敵だけど


わたしみたいに

鳩ぽっぽが豆鉄砲みたいな

薄い線と点で書けそうな

大地が似合うような

男の子5人生んでる

シワもある

一旦、女として落ちるとこまで落ちていった

おしゃれも忘れ

肌のお手入れも忘れ

精神論に走り

玄米に走り

40代の熟女真っ盛りな


そんな私が性の話語っていたら

受け付けやすい人がいるはずって。


ずっとブレーキかけていたけど

もう、ブレーキはずすことにする。


きっと外から見てくれている人は

わたしにブレーキなんてあったのか?と

思う人もいるかもしれない。


自分の中だけでこっそりかけていたブレーキ。

ほんと中途半端な形でかけていたブレーキ。


セ ックスで本当に感じる体になるためには

体を開くだけじゃ感じられないんです。


局部で感じることには限界があって

本当のオーガズムは心で感じるものだと

そこに行き着きました。


ほら、例えば子供が握ってくれたおにぎりは

いつもと同じお米であっても

格別に感じたりするような、そういう感じ。


本当に感じるのは

やっぱり心なんです。


だから

体で気持ちよくなろうと思ったら

やっぱり心も開かないといけないし

心を開くためには、いろいろな固まった考えはずしていかなきゃいけないし

そのためにはしんどいとこにも向き合うことになるので

少し覚悟してほしいです。


勇気が必要です。


でも、せっかくまだまだチャンスがあるのなら

全身毛羽立つような快感をあきらめないでほしいな。


わたしがこれまで勉強してきたこと


体と心を開くコツ


話します☆


お話会します♪呼んでください。


本もきっと産まれるよ。読んでください。



そんな話、月小屋の集いでも

開放して話していきたいです。


これまでのわたしを信頼することにしました。