またまた心屋さん♡


許可出したら、心が晴れやかになるね☆


「葛藤」とは

自分の「本音」と
自分の「ルール」や「恐怖」との戦いだ。
...

--

「ほんとは」○○したい
「ほんとは」××したくない

という「本音」があるけれど

それを
その本音をそのまま表に出すと

誰かのルールに引っかかる
自分の戒律に引っかかる
過去に出会った嫌な記憶がよみがえる。

だから、飲みこんだ。
だから、やらない。
だから、言わない。
だから、違うことを言う。
だから、無難にやり過ごす。

それが
社会の中で生きること

それが
人とのかかわりの中で生きること

それが
大人になること。

大人になるほど
そうやって自分の本音を飲みこんでいく。

やがて
自分を見失う。

--

でも、今からでもまだ間に合う。

「どうしたらいいのかなぁ」
「どうするべきなのかなぁ」

と、自分が「答え」を探し出した時がチャンス。
その「探す答え」の前に
自分の本音があるから。

人に相談するときは
自分の中に「本音」という答えがある。

その「許可」が
誰かから欲しいだけなのだ。

ほんとは、◎◎したい。
ほんとは、××やめたい、

という本音。

その本音に気づかないように
誰かにジャマや反対を「させて」ないか。

その「ジャマ」や「反対」がなくなったら
自分の「本音」「やりたいこと」に気づいてしまう。

そんな恐ろしいことは耐えられない。

そんなこと、絶対に無理だ。
自分にはそんな能力はない
自分にはそんな魅力もない

そんな
自分の「本当の素晴らしさ」に
気づきたくなくて

ずっと縮こまっていただけなんだ。
ずっと邪魔「させていた」だけなんだ。

邪魔ものも
抵抗も
反対も

壁なんて
ブレーキなんて
なにもないのに。

もうそろそろ
自分の素晴らしさ
信じてもいいんじゃないか。

もうそろそろ
自分の可能性や魅力や才能、
信じてもいいんじゃないか。

もう
自分の本音を
表に出してもいいんじゃないか。

もう
自分が愛されていること
認めてもいいんじゃないか。

愛されなかったとしても
愛されるひと

ひどいことをされたとしても
素晴らしい人

出来なかったとしても
自分の価値には変わりはない

何もなしえなかったとしても
自分の価値には変わりはない。
素晴らしい自分は何にも傷つけられないのです。

そう、自分が傷つけない限り。

「葛藤」とは

自分の「本音」と
自分の「ルール」や「恐怖」との戦いだ。

「ほんとは」○○したい
「ほんとは」××したくない

もう、そんな
本当の自分の心の叫びを
聴いてやらないか?