今日Megちゃんとこのお話をしました🌼
こちらに音声がのってます🌼
めちゃ緊張しながらお話したので
あたま真っ白。
録音も恥ずかしくて1回聞いて
うーうーあたま抱えてます。。
…
それは、、それとして

お話したあと、思い出したことが
ありました。
母にさいしょ、くくりつけ事件で
巻物をぶつけたとき、
(わたしは被害者になって、母を責めた)
母はしたことは覚えてなかったのですが、
「(わたしに)そんな思いをさせるつもりはなかった。ごめんなさい」と
謝ってくれてたんです。
でも、
当時のわたしは、今よりずっとずっと
拗ねていたからね。
(覚えてないクセに。)
(この場しのぎに謝られても。)
(大切じゃないからそんなひどいことしたんでしょ。)
と、母の謝罪を受け入れていませんでした。
表面上はどうだったか、わかりません、が
心ではかたくなに、はねのけていたと
思います。
だから、
ずっとフツフツとくすぶってた。
わたしの思うような言葉がかえってこなくて、
納得できなくて、ね。
母からの愛情を疑ってる、ままだった。
…
それから
今日のMegちゃんとのお話をへて
『お互いの価値観のちがい』だったんだ!
そこの共有ができてなかっただけ、なんだと
わかり、
そしたら、
わたしは行為そのものは、悲しくて怖いトラウマ。二度とされたくない。
母は行為そのものは、
素晴らしいひとへつながる愛あるしつけ。
母は行為に対しては、
悪いと思っていないようだけど、
わたしが悲しくて怖かったことに対しては
「そんな思いをさせるつもりはなかった。」
と謝罪していた。
つまりは、
お母さんは、わたしを悲しい怖い思いをさせたり、憎くて傷つけようと、庭の物干し台に縛ったのでは、ない。
ということに、あらためて気づきました。
(やわらかいストッキングで縛ったのだって
きっと、わたしにケガさせたくなかったから、だよね)
やっぱり母なりの愛情だったんじゃないかな?
…
こどもの頃のわたしは、
ただただ、縛られたことの、怖さや悲しさ、しかわからなくて、
理由の聞き方も知らなくって
母から愛されてない、妄想ロードを
ひた走ってきてしまったのだけれども、笑
(いまも頻繁に通行しますよ、笑)
今だったら、どうするかな?
行為そのものには抵抗したり、
悲しい怖いことなんだと、教えてあげたり
「わたしは理由をゆっくり伝えてくれるだけで、わかります」と
わたしの価値観を伝えることもできる(ハズ)
もし、言えなくっても、きっとあとからでも
気づけると思うな。(思いたいなー。😂)
母から言われた
「今は縛られてないんだから、
いいじゃない。」
そうね、お母さん。
あの時の、ちっちゃなわたし、
なにも言えずにいた、わたし、ではないね。
あ〜怖かったあ〜
あのとき、あんなことがあったね。
なんて、
いつか家族みんなで
笑い話にしたいな。
時間はかかるかもしれないけどね。
Megちゃん、いつも話をきいてくれた、
話をシェアしてくれたみんな
ありがとう
また忘れたら思い出させてください。笑