おはようございます


母に対しては

『攻撃×だんまり』のMIXだった

わたし。


巻き物も盛大にぶん投げました…
.....(;__)/|


いまは、母コミュニケーションの
再構築中。



口はさみたくなってもグッとガマンしてみたり、

(攻撃型のわたしは、つい自分の正しさを主張したくなる)


矢継ぎ早に質問したくなるところを

ゆっくり1個1個「それはどうゆうこと〜?」
てきいてみたりね。


母のグチをきき流してみたり。



わたしもまだ加減がわからなくて


自分の気持ちを置きざりに
ガマンしてグチを受け入れようとしちゃったり


せっかく話しだしてくれた母との
時間を大切にしたくて


やたらと「物わかりのいい娘」やろうとしちゃったり。



ゴールド経て、ずっとやってきた【つもり】
だったけど、

できないことも多い。




でも、

少しずつ少しずつ母への理解がすすんだような?

まだまだ途中だなあ、と思います。





その中で、わたしがね、いまだに
わからないことがあって



昔、小学生のときかなー。


わたし、母に庭の物干し台(支柱?)に
縛られたことがあったのー。


ストッキングを縄がわりにしてね。
(どっから持ってきたんだろうねー)



夜でね、たぶん秋?冬?

暗いし寒いし、外に出されて、
母や姉や父はあたたかい家にいて、



なんでわたしだけ
そんな目に合うのかわからなくて
怖くてさみしくて悲しくてね。


わあわあ泣いて、「助けてえ」「ごめんなさあい」て大声で叫んでた。


(ご近所さんにもきこえてたかも)


そんな記憶。


(たしか原因は、とろろ昆布のお吸い物がわたしが飲めなくて、母がキレた、だったかな?でも記憶なんてあいまいなものだよね)



でね、母にきいてもおぼえてない、そんなことあったっけ?


で、

しょうがないと思いつつ
ずっとくすぶってる案件のひとつだった。





それが、ね、


きのう解けた(気がした)んです!!




きのう母が幼少期の話をしてた流れで、



母の一番上の姉は、

(7人兄弟の長女・書道家で人格者、末っ子の母の憧れのお姉ちゃん。)



小さい頃は、叔母の家にあずけられて
それはそれは厳しくしつけられてた、



そのいっかんで


「やっちゃいけないことをしたら

柱にくくりつけられてたんだよポーンポーンポーン


でね、母はこう続けたんです。


それだけ、キチンとしつけてもらえたから、
おばちゃん(長女)は、あれだけの素晴らしい人になれたんだよ



て、これでわたしのパズルが
カチッとはまった気がしました。




つまりは、母がわたしを物干し台に
縛ったのは、


イライラして八つ当たりしたわけでも
当時、食の礼儀にうるさかった父へのご機嫌とりでもなく、


わたしへルールを教えるため、に
母が知ってる、最善の成功例として、


「子を縛って外に放置」をえらんだ、と。



なにしてくれてんねん、母ちゃん

今なら虐待案件だわ。


(母にも言ったら、そんなひどいことしてない!て言ってた😂笑 )



時代もあったし、地域の風習もあったんだろうし、(家名が強い、本家、分家のちがいとかね)



とにかく、40歳そこそこ、今のわたしと同じくらいの年齢だった、母は

一生懸命、わたしが、叔母のように、素晴らしいひとになる、と思って、


わたしへの愛情につながると信じて
虐待まがいのことをやっちゃった。


(母は、いまだにそれでいいんだと思ってるみたいだしね)


わたしがそれで20何年、
傷ついて、恨むなんてつゆほど知らずに。。



ま、ほんとはただ言うこときかない、
わたしの子育てイライラしてただけかも
しれないけど、笑笑笑



そこは確かめようもない。
母もおぼえてない。



でも、
いっけんそう思えないようなことにも
愛情は、ちゃんとある。


それを知った。知れた。


わたしはそれでいいや。
そっちがいいや。



完全に許してるかといえば、
まだわかんない。

怖かったしね。

許さなくてもいいのかもしれない。



でも、

なんにもわからないまま、

恨んでた気持ちは、しぼんでったよね。



なんにせよ

バトンはわたしに託された。


これからこれから。だね