から読んでみてね



こちらの続き 長いよ


   



なんか
ちがう感じがしたのはね


お風呂で泣けたのは


嫉妬から
母への言いたいことがわかったから、、


ではなくて


「わたしに手間暇かけて丁寧に接してほしい。
ひとりにしないで。一緒に遊んでほしいって思ってるんだ」


と、わたしがわたしの弱くてやわらかい本音に
気づいたからなんだと

そう感じたから。



   


だってね

母に言ったことがある


2歳のときの話、そのほかにも
ツラツラと恨みごとも交えて


ああしてほしかった、
こうしてほしかった、

だからわたしは今こんな気持ちになってる、と
 

当時感じていた

不安やどうしようもないさみしさ、よりも


「わたしはこうなったのはお母さんのせい!」
相手に責任をなすりつけて
わたしは正しい!だって被害者だもん!

を一方的にぶつけていたころ


(う⚫︎こぶつけ、巻き物送りつけ期。
これも気持ちを出してこなかったわたしには
必要だったと思う。今でも気持ちを伝えるのは苦手だけど、ほんと下手くそでひどいものだったなあ)


それでも母は何度も謝ってくれた

わたしの一方的で幼稚な理想の押しつけを
きいて
「話をきいてあげられなくてごめんね」と。


わたしはいっぱい泣いて泣いて
あとからじぶんの勘違いにも気づいて
母に謝った


それでほどけた部分もあるし
母とずっと話しやすくなった

前よりも丁寧にわたしと向き合おうと
してくれてると感じることもある



だけど


それも「したかった、してほしかったこと」
だったはずなのに


何度やっても
胸のひっかかりは残ってた

(そもそも母の過干渉や過剰なスキンシップに辟易してたわたしもいたのだ。まさしくどっちもあった。そしてわたしの思い通りでなかったから「愛されてない」「かまわれてない」ことにした、この話またどこかで書きたい)


だからね


今回の嫉妬の気づきでわかったのは


・『わたしにもっと時間をかけてほしい』
・『もっと丁寧に接してほしい』
・『わたしにもっとしゃべりかけてほしい』
・『わたしとも一緒に遊んでほしい』



これをお母さんやだれかに叶えてほしかった‥


それもあるけど


(月並みですが)
わたしがわたしに気づいて欲しかった

ってことなんですよね。



わたしが味わいたかったのは


わたしがわたしの本音に
「やっと気づいてくれたあ」

と安堵してホッとした気持ち


だって
母と和解したときよりも

ずっとずっとわたし安心してる


(もちろん、好きなひとにそう接してもらえたら
うれしい気持ちもありまくります)


だれよりも
わたしがわたしを

てきとうに
手を抜いて
話をきかずに
追い立てて
楽しみをさせないで

粗末に扱ってきたこと

に気づいて

わたしを大切にしてほしいという想い
をね

うまく言えないけど
こころの中心におけたら

それだけで癒された感覚がした



なんだ
わたしってわたしのこと
めちゃめちゃ大切だし
めちゃめちゃ大好きなんじゃん笑


嫉妬をつかって
母との思い出をつかって

わたしからのLOVEコールに
きづいてほしい、ほどに


バカだなあ


そう思うと
なんだか自分がいとおしくなった

「ごめんね」
「粗末に扱ってたのは
わたしだったね」

てわたしをヨシヨシしてあげたくなった



また忘れて
嫉妬してモヤザワしちゃう
ときもあると思う


けど


『これはなんの謎解きなんだろう?』

ていつでも思い出していたい


相手のせいにして
ぶつけるのは無意味だし
(やりたかったらそれもいい)


自分自身を粗末に扱ってないかい?
て問いかけるチャンスだよね


いつだって愛情は
そこにあるんだから、ね

おしまい