こちらのつづき
だけど、


くだんの友だちと
話したあと


わたしがなんて言われたかと
いえば


「全部はなせてスッキリした」
「ありがとう」


と、感謝のことばをもらったのだった。






わたしは

おどろきと、謙遜と、よかったなあ
が入り混じった複雑な感情だったんだけど



その言葉で、あっ、と気づいたんだよね。






これまでわたしは

(わたしが思う)
話が聴けるひと、のように

聴けないとダメだ、て思ってた。





まわりにいる

「聴き上手」「お話上手」な

諸先輩がたにあこがれもあって



的確なあいづちが打てていいなあ
あんなおもしろい返しできない
お話を引き出すのが上手だなあ
自分の意見をハッキリ言えてうらやましい
穏やかに寄り添われて安心するだろうな‥



あのようになりたいと

あれが正解なんだ、と

マネ(らしきこと)をしようとして

結果「聴けるフリ」で苦しくなっていたんだ。




自分で自分のくびをしめて

「苦手だ」「聴けない」

と決めつけてもいた。




だけど、

今回は、友だちが「聴いてほしい」
て言ったことを

ほんとうに「ただ聴いて」みることにしたんです。



アドバイスもしない
良いことも言おうとしない
口もはさまない
あいづちも「うんうん」打つだけ


わからないことはわからない。


ときおり
質問があればして
意見があれば伝え、
(ちょこっと笑いもはさみつつ笑)


でもほとんどの時間
(メモをとりながら)


えふらず
そのまんまの不器用なわたしで
あいての言葉に耳をかたむけていた。



さいしょはおっかなびっくりだったけど

彼女の『わたしに』話したい、
を信じて聴いた。(と思う)



そうしたら
普段は聴くのが疲れることも
多いのに

なんだかあったかいような
不思議な気持ちになって



気心のしれた、
わたしのことも知っている

友だちだったからこそ

なのかもしれないけど


わたしが
癒されたような気がしたんです。







そして、

そこには

『わたしだからできること』

もあったんだって思いました。





また長くなっちゃった

気づきは