こないだの日曜日に載ってた東京新聞の記事。
ライプチヒでバッハ記念館の広報室長をしている高野さんという方。
こういうインタビューとかのエッセイで知らない人を見る時 まず最初に
紹介文を見ます。
ザット見ると「國學院大学を休学含めて8年で卒業。’99からライプチヒで
バッハ記念館の国際広報室長になる。○○年(忘れたw)にCAと結婚
ライプチヒに在住」と書いてあります。
なーーーんだ好きな事仕事にして良いな~って最初は思ってましたが
読んでみて壮絶な人生に思わず涙。。
飲み屋街の息子として生まれ
母1人子1人の生活。
親戚や児童養護施設にたらい回しされる。
中学校時代にイジメにあったが
中3の時にたまたま音楽の先生からバッハの演奏会のチケットをもらい
何も分からなかった少年がバッハにしびれ魅せられる。
高校卒業してから3年間 毎日図書館の視聴覚室でバッハを聞き
ドイツが東西統一になった年にライプチヒへ行く。
教会で3ヶ月住み込みバッハのお墓の掃除等をして生活をする。
日本に帰り
バッハについての論文を書こうとしたが所詮「バッハお宅のフリーター」としてしか見られず
他の職業につくが体に変調をきたしていく。
精神科に行ったら「うつ病」の診断。
医者から生活保護を進められる。
生活保護と治療とでだんだん健康になった頃
ドイツの教会から 皆でカンパして購入された
彼のドイツ行きの航空券が届きライプチヒのバッハ記念館で働くようになる。。
つたない文章でごめんなさい。
でも彼の生き方に感動してしまい
どうしても多くの人に高野昭夫さんという方を知って欲しいと思って
ブログに書いてしまいました。
バッハ記念館の国際広報室長という肩書きをもつ高野さんですが
日本では学歴という壁で中々受け入れる人がいなかったとの事。
そんな時に記念館に来たトヨタ自動車元社長の渡辺氏という方に
「バッハ研究には偏差値の高い大学を出てないとダメなんですよね」と言って
しまったところ
「そんな大学を出ていたら今ごろ狭い日本の社会に閉じこもったままかもしれないよ
こうしてバッハの中心地で好きな事ができるあなたは幸せだよ」と言われて
とても嬉しかった事も書いてあります。
好きな事を貫いて辛い人生を乗り越えた高野さん。
こんな日本人が世界で活躍してくれると思うと嬉しい限りだし。
同じ年代として自分も頑張らなければ。と思うのであります。
高野氏の言葉。
人との「出会い」とではなく
高野氏にとっては「バッハ」との出合い。
又 私にとってはこのインタビューの出合いも感動しました。
ありがとうございます。
ただ・・・・心配なのはこういうインタビューを読んだTVが
又薄っぺらくドキュメンタリーを作ってしまうのかなと思うのが。。チト。ね。
良い宣伝効果にはなるけれど うーーーーんって感じです。
※あまりにも感動したのでかなり理解しづらい文章でごめんなさいね。
できたらこの記事をそのまんま載せたいなって思ってます。


