こんにちは!
あだ名はおちゃめ!株式会社ストーリープロデュースの神岡 仁美です。
ある方のお話をさせてください。
今から1年半前に
実のお父さんに介護が必要になった。
そんなお話を聞きました。
でも、そのお父さんは過去
自分のことを見離した父、とのことでした。
彼女、映里(えり)さんは
幼少期の頃
英語に触れてから
言語の自由さや多文化の価値観に惹かれ
小学生から英語を学び
中学では市の海外派遣生に選抜され
フィンランド・イギリス・オランダの
3カ国を巡る派遣団に参加していました。
大学では法学部へ進み
国際法を学びながら
留学生クラスで
アジアから日本に来ている
多様な背景を持つ仲間と学び
英語劇など表現の場でも活躍していました。
しかし、その大学在学中に
実のお父さんが心筋梗塞で倒れ
お父さんは仕事へ復帰をすることが
できなくなってしまいました。
家計を支えなければ・・・
そう思い懸命に働いていたお母さんも
うつ病を発症。
大学1年の春休みに父が倒れ
なんとか大学には行ったが
母が安定をせず
家族全員がライフスタイルを変えることになった。
父の借金も発覚。
みんなでサポートをしていた中
母は家庭人として
父に戻ってきてほしいと思っていたが
外へ飲み歩き、戻ってこなかった。
父は家族を捨てた。
大学2年でを大学を中退。
父の代わりにお給料を
家庭に入れる人が必要だったため
その年の6月に社会人となり
一部上場企業に入社することに。
そこから会社で働き
会社の同僚と結婚
新潟への引越し
出産
結婚相手の義理の弟が
重度の脳性麻痺で、弟の介護
義母が子宮がんとなり、介護
2人のお子さんの子育て
旦那の単身赴任。
限られたお金の中での生活のやりくり・・・
義母の看取り・・・
義母の看取り後
夫婦関係は悪化し
暴力的な場面も経験した。
映里さんは
子どもを守るため離婚を決意し
二児のシングルマザーとして
外資系企業で働き始めることに・・・。
さらに同時期
実母が若年性認知症を発症し
実母がいる埼玉と新潟を往復しながら
仕事と介護を両立する生活が続いた。
その後
海外駐在中の現在の夫と再会。
子どもたちとも自然に関係性が築かれ
再婚を機に埼玉へ戻る。
第3子を出産。
最初は自分の
外資系営業という仕事が
あまり楽しくなかったと
映里さんは話す。
だが
お客さんの前では自分の背景を活かしながら
素を出せるようになっていく中で
仕事の面白さを実感するようになったという。
お客さんの前では
素を出せるようになっていたが、
会社の中では自分を出さないようにしていた。
そんな中
実の父が倒れた。
入院。
そして介護がはじまることになった。
最初、映里さんからその話を聞いた時に
映里さんの口から出てきた言葉は
「やっぱり父のことが許せない」
だった。
過去自分と家族を見離した父。
父の入院を通して
腹違いの弟や家族がいることもわかった。
勝手なことばかりしてきた父。
そんな父の介護を
どうして私がしないといけないんだ・・
理不尽。
この話は私が主催する
らくらく塾で行われていた。
講師の経営コンサルタントのおやじ
杉田さんからは
「そこに向き合うんだわ」
と常々言われていた。
絶対に許せない気持ち。
「お父さんの目を見るんだわ
今、何を感じるか試してきてごらん」
そう、おやじの
杉田さんが言いました。
映里さんは毎回
らくらく塾の場で泣きながら
自分の気持ちや
人生の背景
現状のお父さんのことに向き合っていきました。
続きます。




