この土日で、
学校に行かない
不登校
というテーマを深く考える機会があった。

とてもデリケートなこの話題。
私の中でとても印象的だったので、
ブログに書き残しておきたいと思う。

なお、
私は学校に行かないということの是非について、議論したいわけではないので、予めご了承ください。

{ABED5FD6-4160-4462-B1DC-D1B5A28CC0B1}

とあるディスカッションの場で、
学校に行かない子どもたちの充実
について考える機会があった。

ディスカッションの場は素晴らしかったです。

が、その場がどうこうというより、
まず私は、

「あ、私は学校に行かなくてもよかったのか」
と、その現場で気づいて、その気づきに驚いてしまって、泣きそうになってしまった。


齢31にして、
「私の人生で学校に行かないという選択肢があってもよかったのだ」ということに気づいて、自分の学校生活を考える機会になった。



私の周りには
学校に行かなかった友達や知り合いがいたり、昨今、4月になると、
学校に行きたくない人は図書室においで、
や、その他素晴らしい発信があり、
それを目に止めていたが、

なぜか自分に当てはめたことはなくて、

言葉通り

「私には学校に行かないという選択肢もあったんだ」

と思った。


※これは学校に行くのがいいとか、行かないからどう、とかいう話ではなく、単なる「あ、そうだったのか」という気づきの話です。「学校にいかなくてもよかったのか」という言葉は、学校に行かないことを進めていたり、逆に否定している意味は一切ありません。




私の学生生活について
多くを語ろうとは思わないのだけど、
多感な時期だったので、
若い頃よくある友人関係の
あの独特なもつれや仲違い。
学年全体から嫌われていた自分。

中学生生活の記憶は断片的にしかなく、
本当にあまり覚えていない。

思い出そうと思った時期もあったのだけど、
自分の中で割と整理がついているので、
もういいかな、と思う。

以前、中学の同窓会に行ったときに
「あ、私、中学のときすごい嫌われ者だったんだっけ」と驚いてしまったほど(笑)、今の自分と過去の自分のギャップに驚いたこともあった。

高校も部活仲間ともうまくいかず、
10人くらいから呼び出しくらって、
めちゃくちゃ責められたこともあったな〜。思い出すだけで恐怖(笑)


要所要所で
仲良くしてくれた友達がいたから
なんとか生き延びてこれた。




でもあの日、
もし、私の人生の中で、
学校に行かなくてもいいよと
言ってくれた人がいたなら
私はどうしていただろう?

{1D22EAD7-FDF6-407F-9361-01F95289055D}

足を引きずりながら
そう遠くない距離をバスに乗って、
なんとか学校に行って、
座りたくない席に座って、授業を受ける。
学校に入って
まず、自分の上履きがちゃんとあるかどうかが怖かった。
自分の机と椅子がないときは
なんとか探して用意して座る。

ときには保健室に逃げ込んだりして、時間が過ぎるのをただ待った。

でも保健室も居場所じゃなかった。

出席状況とも戦って、
あと1回この授業を休んだらやばい、
みたいなことがあって。

誰にも頼れなくて、
情けなかった自分がいた。

八方塞がりだった。
目の前は暗かった。

記憶がないということは
私にとっては、
相当ストレスがあったんだろうと思う。

白髪がすごかったのもここから(笑)

人ととにかく上手くいかなくて
苦しんだ学校生活だった。



そんなときに、
学校に行かなくてもいいよと
行かない選択肢もあるんだと、
誰かが言ってくれたなら、
私はどうしていただろうか。





結果、
私の学生生活は素晴らしかったと思う。

出会った友達。
高校での学びも面白かったし、
大学で学んだこともすごくよかった。
面白いプロジェクトもたくさんしたし、
読書もたくさん出来たし、
出来ない体験をさせてもらった。

出会った先生で
尊敬できる先生が何人もいた。

先生から学べる学問も
本当に面白かった。
知れないことをたくさん学べた。

学校に行って得たものが
たくさんあった。




這いつくばって学校に通って
私はよかったと思ってる。




でも今回、
「私は学校に行かなくてもよかったのか」
という気づきが出たことで、
その頃の小さな自分に、
アクセスが出来たような気がして、
すごくよかった。


胸がきゅっとした。


あのとき、
逃げさせてあげれなくて、
本当にごめんね。

本当にがんばって
きたよね。



あの頃の私には
学校に行かないということを
押し通せる程の強さはなかった。







早く大人になりたいと
ずっと望んでいた。

時間早く経て〜〜って思っていた。

大人になったら、
自由になれる。

そう信じていた。



でも、
社会人になってから
仕事がうまくいかず、
相当苦しむのだけど・・・(笑)ニヒヒ





思えば私の人生は、
枠に収まることが大嫌いで、

学校という囲いや、
友達という囲いや、
会社という囲いや、
そういったものに
すごく苦しんで
逃げることばかりを考えてた。




やりたいことってなんだっけ?

どうしたら自由に生きていける?





それにものすごく
苦しんだ期間が長かったと思う。







今、
人の人生を応援したいとか言って、
場づくりとか
セミナー主催とか
起業塾の主催とかを
やっているんだけど、

誰よりも救われたかったのは
自分自身だと思う。




枠だと思うものは
全部自分が勝手に枠を作ってると、
そう教えてくれる人たちが
就活を機にたくさん現れて、
私の周りは変な人たちばかりになった。


人に苦しんで
私ってなんだろうとか、
友達ってなんだろうとか、
働くってなんだろうとか、
葛藤した上の出会いだった。




結果論だけど、
学校に行ってなかったら、
どこかでひとつ間違えてたら
彼らには出会えなかったから、
諦めずに生きてきてよかった。




自分の人生捨てたもんじゃないなと
思えたのは本当にここ数年のことなので、
今の環境が本当に有難いです。




思えば私の両親は
こんな破天荒な娘を
よく育てたなと思う。
私だったら絶対嫌だったな(笑)


新卒で最初に勤めた会社を
すぐに辞めたとき、
父から
「人と違うことをするということは、いいんだけど、覚悟がいるぞ」と言われたことが、
今も強く残っている。


昔、父ともめて、
「こんなことをさせるために大学を出させたんじゃない」と言われたことがあって
すごく衝撃的だったんだけど、
今は大丈夫かな。
人の役に私は立てているだろうか。


{78EBBCBC-0DA2-46E2-ACE3-D29F071FFDBF}

先日、31歳になったんだけど、
たくさんの誕生日メッセージをいただいて、
ありがとうございました。

最近、ブログを書く気力がなく、
久しぶりのブログが
なんかちょっと重い自己開示ですみません(笑)

たくさんの方から、
誕生日を祝っていただいて、
感謝の言葉をいただいて、

ありがとうと思っているのは
こっちなのに、

私という存在についての
フィードバックをいただいて、
生まれてきてよかったと思いました。

また、
少しでもどなたかの役に立てているのかもしれないと思えて、嬉しかったです(^^)✨



「学校に行かない子どもたちへの充実」
を考えたときに、
私ができることは
自分の役割を邁進することしかなく。

小さな渦だけれど、
それを回していくこと。

1人の人が少し人生楽しくなれば
周りも少し花開いていくと思うので、
それをやり続けることかなと思います。




普段は
自分のために
やっていることが多いと思ったのだけど、
社会にとって自分の仕事はどうか
という視点を
なんだか真剣に考えた土日でした。




あと、
子どもたちに対して
「将来やりたいことってあるの?」
と聞くことの残酷さも
今回身に染みて分かったので、
子どもたちへのコミュニケーションを
気をつけよう〜と思いました。



それではニコニコキラキラ