未来農業備忘録

とある田舎の百姓生活~青年編~

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信念とは。。。何だ

信念とは何だ。一生の覚悟か?


斜に構えずにまともに考えてみる…


新聞で地域再生活性化、人との絆、教育再生、環境問題、ネット君臨、いろんな立場の人や専門家の意見が書かれているのを気にして読んでます。

自分たちはサービス満点、便利で豊かな国に生まれたのになぜか不安です。

現代の若い人は、日本の将来を創造できず、ただ一生の一番大切な時期を悶々としたきもちで過ごしているような気がします。

良い大学を出て、良い会社に入り、健康保険や厚生年金、社会保障完備。有給休暇や福利厚生、定年退職後は余生を豊かに過ごすといった終身雇用生涯安泰を保証する人生成功のモデルは戦後60年恩恵をうけるべき最初の世代の安心を保障することなく崩壊しつつあり、少子高齢化、過疎化、自殺、いじめ、凶悪犯罪。日々の暗いニュースに敏感になっていきます。

豊かな国なのに安全といわれているのに何か漠然と将来に不安を感じます。

と同時にそんなことを考える自分がすこしは大人になったということなのかなと思ったりもします…。

ここ数年は子供は学校を出たら仕事を持ち、実家を出て家庭を持ち、各家庭ごとに家を建て、やがてはその子供も家を出て・・・と、祖父母、両親、兄弟、子供と、各世代がバラバラに生計を営む生き方が永く続いてきているとおもいます。

こんなふうに各世代ごとバラバラに生活する生き方では、新しい家庭が出来るたんびにコミュニケーションがリセットされ、特に都会ではますますご近所のコミュニケーションが希薄になってきているという現状で。

周りの人のことなどに無関心になり独居老人の孤独死など隣り近所はもとより家族身内ですら気にしないようになってきているのかと…

テレビでのさまざまな事件や事故は人付き合いの希薄さが原因だろうと専門家などはよくいわれていますが、お互いのコミュニケーションを築くには単に一世代同士の付き合いだけで築けるのか?

住人一人一人が二世代三世代と同じ地域に住み続けることで、地域の住人のことを知ることで、信用し合える人が出来き、安心して暮らせる地域になると思うんですが。

老いても、子供の世話にならずに暮らしたいと考えてるひとも年々多くなってきてるともいわれています。

そこには定年後を楽しく過ごそうと笑顔の老夫婦の写真と終の住みかシニア村構想。老人ホームとは違う年寄りの村だそうです。

地区に市営県営住宅が出来て13年。家賃もやすいしどっと町内の人口が増え子供の数もふえました。

でもさらに10年後、子供は巣立ち、団地は子育てをおえた夫婦が大半を占めはじめます。

安い家賃の市営県営住宅にそのままいすわれればいずれシニア団地になり学校に通う子供はまた減るでしょう。今、自分の知っている限りでは地区で今年1歳になる子供は3人しかいないんじゃないか?知り合いの若いお母さん友達にききました。じゃあこの子たちが6年後の小学校は最低3人のクラスになるなぁ。学校の近くに安い市営住宅があるのに老夫婦ばかりでは学校が機能しない。市営住宅は2世代3世代で住むような住宅ではないし、まして今は核家族が当たり前の中、子育てを終えた家庭は出来れば今度は病院の近い新しい住宅に移って、これから子育てしていく若い夫婦に譲るような流れになっていけばなぁ。と考えてみたり…


我々の住む所には地元青年会や消防団、町内会や青年部、色々な会が存在しそれらの行事に自分も参加させてもらっています。

4年前に地元に戻り、初めて参加した青年会の行事でお盆に地区でしている子供相撲大会があります。

81日ごろ、青年会で会費の集金に各家庭にいったんですが、アンタ誰ですか?と疑われました。

自分のことを知らない人がいました。お互い同じ地区に住んでいながら顔も名前も知らない。でも自己紹介のとき自分の父や母のこと、おばあちゃんのことをご存知だったことで、自分のことを良く知ってもらえ信用してくださいました。顔も名前も知らない子がどうしたら信用してもらえるか?

都会での会社勤務時代は45年辛抱してやっと少し認めてもらえたことが親の力、先祖代々の力では一瞬で、これはヤッパリ昔からこの地に住んでいたのも同士だから相手のことを無条件で受け入れられるんだなぁと感じました。

何世代と続く家系同士の集まりは防犯カメラなど高価なセキュリティサービスの整ったところよりも安心して暮らせるところなのではないかと最近思います。

そして、子供相撲をはじめその地域の文化やシキタリは、いろんな団体の行事や政への参加は地域のコミュニケーションを築く大事な役割をしているんだとおもいます。

都会で暮らすのは確かに便利ですが、日ごろ顔を合わす人同士でも心の中は常に警戒心を持ち、人に対して疑い深くなってしまいます。初めての土地での生活とは誰にとってもそういうものなのかもしれませんが、子供は新しい家庭をもち、また新しい土地で暮らし始めている…周りの住人はお近づきになるまもなく頻繁に入れ替わる。定年まで、また一生そこで暮らしたとしても、安心して心豊かに暮らせるのか地域の絆が深まるのか?

子供は学校を出たら仕事を持ち、実家を出て家庭を持ち、各家庭ごとに家を建て、やがてはその子供も家を出て・・・もはや血筋に頼らない自立した個人として生きる時代なのかもしれません。

親は親で好き勝手に生きて子供も子供で好き勝手に生きて行くのでしょうか…

子供はやがて親元をはなれ一人立ちすれば一人前だという社会の流れは家を出て新しい家庭を持つことで自分が一人前になったと勘違いしているのか?

仕事の忙しさ、ストレスから近所付き合いのわずらわしさより自分の時間優先で地域の交流に無関心で一切しないその影で地域社会の崩壊を招いているのではないか?


そうした社会の崩壊はこれから先、将来の子供にも影響が出てくるのではないか?

子供の周りが知らない人ばかりで信用、信頼できる大人がいないこと。

おとなとは子供に関わる親、教師だけでなく地域の住人すべてで、地域社会の崩壊で誰に対しても不信感を抱くような社会では小さいときから人を信頼信用しなくなります。

人に親切にされるとうれしいですし、それに対して親切にしたいと思うのが普通なはずです。

人間は素直でよい人ということが前提なら初対面であっても新しい土地で生活しようともスグに打ち解けあい、地域社会は崩れないとおもいますが、知らない人と話しをしてはいけません。とか、相手の手が届かない範囲でお話しなさい。とか話かけられたら逃げなさい。とか、人に対して親切にする以前に疑いなさいと教えている時点で子供も親も教え方が分からないし混乱してしまいます。

初めから人を信用していない。結果的に、人に何かしてあげたいと思うような親切な人間に成長しにくくなりますね。

偽装粉飾決済、番組の捏造、隠ぺい工作・・・

学校での未履修問題があったように進学率のため受験に必要のない科目を教えたことにして合格させる。

子供にウソの付き方、ズルの仕方を教えるような学校は教師はズルをしている周りのおとなをみてきて大人になったのではないですか?

悪いことは悪いといえる子供。相手の気持ちを思いやれる子供に育て無ければ信頼信用し会える人間関係を築けない大人になりそうです。

それには悪いことは悪いと言えるおとな、相手の気持ちを思いやれるおとながいることがまず必要なのではないですか。

非協力的なおとな、ルールを守らないおとな、自分勝手なおとな、ウソをつくおとな、ズルをするおとな。

そういうおとなが多く目に付きはじめ、見ているから、まじめにやるのがばかばかしくなりズルいおとなのマネをするのではないですか?マネをしたコドモはまたそういうおとなになって行くのではないですか?

どこかで騙されて損をする人がいれば、騙して徳をする人がいます。騙されて-1より、10人騙して+10

会社の営業ノルマとは営業成績のいい社員は人を騙すのがうまい人、口がうまい人。

正直に客と向き合い相手にとって損か徳かを考える社員は結果的に営業利益が低いダメ社員。

世の中が損か徳かでしか、目に見える評価基準でしか、信じられないようになってるなかで、

騙される人になるより騙す人の方が利益が2倍どころか何倍にもなるなら騙す側になろう。

世の中の仕組みが子供のころ教わった道徳教育と全く違うから戸惑いむしゃくしゃした気持ちのまま成長する。だから人を信用しないのも当たり前のことなのかもしれませんね。

社会問題にまでならないまでもそこら辺のささいなことに注意してみると、

コンビニの商品の陳列でビールお酒のコーナーの裏はつまみが並んでいるように、手にとりやすい目線の高さに新商品をならべているように。人の心理をうまく利用して買って貰うように、仕組んでいる。

秀品のみかん一袋300円の隣りに少し傷もののみかん一袋150円が5袋ならんでいる。

おとりを使った鮎釣りのように行動心理をたくみに使ったこれも一種の騙し技で。

こんにちの経済発展は企業の戦略とは人を騙すことで成長してきたのかなぁ。と極端なことですがおもってみたりもします。

子供の周りに信用、信頼できる大人がいないこと。

毎年、相撲大会で子供と接するときの行動や態度、親御さんもいる中で自分はどう思われているのか?考えます。後日、道端であったとき、ありがとうといってくれた子がいました。ほっとしました。

これであの子にとって知らない人ではなくなったということですから。

当たり前ですが親はコドモの手本に。コドモのいるおとなだけではなく本当はすべてのおとなはコドモの手本であるべきで、子供はこれからの人生のなかで、どんな人に出会いどんな影響をうけるのかわかりません。もしかすると僕がだれかに影響を与えているかもしれない。だからどこかで自分に厳しく生き方に責任を持つ覚悟でないといけないのかなと思います。

どこの田舎にでも古い文化やシキタリは存在します。

若い子やよそからの移住者の多くはそういったシキタリはちょっとかんべんして…と思うひとが多いとおもいます。

そんなことより自由に暮らしたいんです。好きなことしたいんです。仕事に集中したいんです。ただ自然のなかでのんびり暮らしていけたらいいんです。

二十歳ごろの自分も地元の町内の行事に正直参加したいとはおもわなかったです。自由にいろんなことをしたい新しい技術や発明、世の中の流行に乗っていく。効率や生産性を考えたらこんなことヤルの時間の無駄。

けれど昔から住んでいてなんとなく安心でいられているのは、田舎暮らしはのんびりしてていいと感じられるのは、もとからその地域に住んでいる人が自分たちの中に悪人はいないと確信しているから。

確信できるのは何世代と続く家同士の集まりだから、長年のお付き合いから誰もが知り合いだから。だから安心して暮らせる。本来の目的や活動目的以外にも顔と名前人柄を知るために知ってもらうために秋祭りは存在し、青年会や消防団、町内会やJA青年部活動が存在している理由かなと自分なりに解釈しました。

井の中の蛙大海をしらず…

井戸の中のカエルは狭い井戸の中だけが世界のすべて、見識が狭く世間知らずの意味として使われているように。地元で暮らすことは狭い世界に閉じこもって、広い世界のあることを知らないのに得々と振る舞っているように感じていました。

でも今、自分がその年齢になってきて少し見方を変えて改めて田舎の先輩たちを見ると故郷で一生懸命根ざし、守り、生きてることがとてもカッコよく見えてきました。

なじみにくい部分もあるけれどこれからの若い子や新しく移住されてきた方にもなんとか積極的にこのシキタリに参加していってもらえたらとおもいます。

子供相撲、地蔵盆、百万遍、お月八日、餅つき餅まき、竿竹作り、草鞋、しめ縄作り、当屋入り、秋祭りと馬子唄、流鏑馬、弁天さん、鎮魂祭

我々が農作物を作る間に、消毒や草刈りで多くの虫、動植物の住みかや命を奪っています。

百万遍の虫供養行事はわれわれに命を下さった動植物たちの成仏を子供たちとお祈りしています。

地域再生活性化の市民祭りいろんな催しがあるなかで、収益や集客が目的ではないお互い顔と顔を見る、確かめ合う、子供の心を育てる安心の地域再生も必要ではないですか?

古いシキタリは他にはないその土地柄でもあり、ここでしか経験できないことですし。

井の中の蛙大海をしらず…されど空の高さを知る。されど地の深さを知る。

たとえ棲んでいる場所は狭くとも井戸の口からは深遠なる空はうかがえる、

外界との接触点が小さくてもただひたすらにそこに思いを馳せ続ければ深慮遠謀に達する。

自分の考え方生き方のルーツはここで生まれたんだから。

町内の人たちが一同に会する機会がなくなると地域社会崩壊と同じ結果を繰り返すことになると思います。

まずは家族が安心して暮らせる地域社会でないと安心して仕事も好きなこともできません。

いくら税金を納めたとしても、便利なサービスを提供してくれたとしても人の絆や心までは改心できません。

都会のなかでこれから一から地域再生をしようとするなら世代を超えた、とてつもない時間と忍耐が要求される。これを短期間で可能にする策がないのなら、ここにある何百年とかけて築いたアナログなネットワーク環境を守るしかないのかもしれません。

今、自分たちはとても恵まれた環境に住んでいる。住まわせてもらっている。

そうした安心して家族が暮らせる環境を維持するためなら農業をやってもいいかも。青年会や消防団の活動に参加する価値があるかも。秋祭りも楽しいかも。

そういうことで人と人が信用し合える科学的な根拠があるわけではない。

しかし一般の社会人生活では縁遠くなってしまう文化やシキタリ、町内の行事。

この環境が人を育てるのに必要と思うならば、自分の人生でそういうことに費やす時間も無駄ではないのかもしれないとおもいました。

一度、都会にでて働き、いろんな環境で育った人たちと出会って、自分は家を継ごうと、農業をしようとおもったのもこういう考えからでした。

しかしこれから先、もっと厳しい社会の荒波を受け、自分の甘っちょろい考えが飲み込まれてしまうんじゃないか?正直なところやっぱり不安です。

成仏してください。

今日は、お寺にてアライグマ対策委員会によるアライグマさん、タヌキさんの供養をさせてもらいました。
3年間われわれの地域で捕獲担当をさせていただき、僕は計5匹のアライグマ を捕獲。
地区全体では150ほどの捕獲が確認されています。


本来はいないはずの動物が一部の心無い人間の手によって山に放たれ、害獣のいないこの日本で異常繁殖し
農作物を食い荒らすことになってしまいました。
アライグマ動物たちに罪はないのは分かっていますが生きていく為には致し方ないことなんですね。


人間は動物たちの命をもらうことで生きているんですね。


牛や豚、魚や花野菜も皆生きている。


この地区で毎年8月の地蔵盆に行う百万遍念仏供養もそういったことです。
長さ16メートルの数珠を子供たちで持って、まわしながらお念仏「ナムアミダブツ・・・」を称えます。
これは虫たちの供養の行事。いつもおいしいご飯が食べれるのは農家さんが一生懸命作っているから。
そこには栽培にあたり消毒をしたり草を刈ったりすることで虫たちの命や住みかを奪っていることにもなっています。
そこで100年以上にわたりこの地区のお寺では虫供養をし、われわれに命を下さった動植物たちの成仏をお祈りしているのです。


ナムアミダブツ…ナムアミダブツ…ナムアミダブツ…



命の勉強させてもらいました。。。

ゲットだぜ!!

アライグマ捕獲!!

ちょっと一息

日ごろ梅の剪定ばかりなので、ちょっと一息ついて同じバイク仲間と日帰りツーリング。

野中の大銀杏と一方杉、熊野古道牛馬童子…それから湯の峰温泉に入ってきました。


こころえかった!!

市役所から…

千島列島付近でM8.1の地震発生!!

こちらでも津波注意報発令されました。


幸いにも数センチ数十センチ程度でしたが…


漁港付近に勤めている友人が心肺でメールしましたが、非難はしなかったらしい。

でも、もしも大きなのがきてたらと思うと恐ろしいですね。。。

ヽ(*'0'*)ツひょえ~~!!

天気 雨くもり雷流れ星


Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン
( ̄Д ̄;) ガーン
w(@。@;)w オウ~
\( @o@;)/なんでーーーーーー!!!!!???


昨日11月5日午後8時ごろ、激しい雷とともにヒョウが降ってキターーーーーーー!!!
今年3月28日にも激しいヒョウが降り、出来たばかりの梅の実に大きな被害を出したところなのに…
今度はミカンがーー!!!!


朝から農協職員が園地巡回で被害状況を調査、家も朝から見てきました。。。

日中は不安定な天気が続き、朝晴れていたのに10時ごろには激しい雷雨。浜の方では竜巻が発生!!
ヒョウに当たったミカンはよく見ると皮が変色し、柔らかくなってる。2、3日後にはカビてきて腐ってくると思われる…
なんでまたココにふってくるん??3月、梅にヒョウ降ったとこやのに…

mikannhyou

えぇ!!

などと書いている矢先に11月6日午後9時半雷と雨と共にまたまた降ってキターーーー!!!

1年に2回もヒョウがふるなんて。しかも収穫前の作物がメチャメチャ…



梅もアカン、みかんもアカン。
。(´д`lll) ううううっ。立ち直れるか???





例大祭。


今年は天気もよく、見物客もたくさんいらしてくださいました。
祭り衣装を着飾った馬たちは子供たちにモテモテでたくさんの携帯カメラに囲まれていました。

uma

御渡りが始まり、各地区ののぼりが境内から降ろされましたが、
10メートルののぼりの竹を立てる時に真っ二つに折れる他、
神事が始まるとその間に弁当を食べるのですが、太鼓の音で馬が驚き、せっかくひろげた弁当を蹴り飛ばしたり、
連鎖で他の馬も驚きクツワがはずれ手綱から離れてしまったりとドタバタな神事となりました。
最後の駆け馬ではさすが元競走馬、馬場の袋に近づくと鼻息荒く手綱を放すと勢いよく駆け出します。
まぁ、何とかけが人が出なかったことで無事に祭りも終了。


今年は馬子役を仰せつかっていたので2日間馬に付きっ切り。馬を引いて歩くのはシンドイなぁ。
足が痛いです…おかげであんまり写真が撮れませんでした。


晩はお約束の宴でございます。

当屋入り’06

今年の当屋は区内に住んで20年という、もともと他所から転移してきた御家。

農家では無いので家の間取りも狭く30人40人も人が入らないし、昔からの祭りには出たことがないという…

近所との付き合いもあまり深いとはいえないし

…困った。段取りを1から10まできっちり伝えないとだめだなぁ~こりゃ。


20年前に転移してきたときにその当時の青年会とかが声をかけて参加でもしていたらよかったかな~…


まあ、祭りの場がしらけないよう青年会ががんばらんと!!


だいじょうぶかなぁ~今年の青年会長は…

親のココロ子シラズ。

「太田光の私が総理大臣になったら」
時々見ている。
そのたびに、自分の中にも言いたいことが沸いてくるんだけど、あふれ出す思いに
考えがまとまらず、悶々とするばかりだ。


今日の放送は憲法9条改正についての議論…
放送中、憲法9条はアメリカの押し付けであるといっていた…
…思った。。。


アメリカはなぜこのような憲法を作ったのか?
アメリカは本来、自国に世界のすべての国にこそ必要な憲法だと思っていたのかもしれない。
9条は世界平和究極の理想。
アメリカは世界の中でこの先、憲法9条を持つ国がどういう歴史を作っていくのか?
この世界に憲法9条の理念は根付くのか?を確かめたいのかもしれない。
そのためには長い長い時間がかかる。
この憲法が生まれたとき、日本は赤ちゃん。つまり生まれ変わったわけだ。
赤ちゃんには親が必要だ。親とはアメリカ。
親は子の成長に責任がある。そして今61年。国としての年齢は今は6歳くらいなのではないか?
生まれたばかりの何の抵抗力も持たない赤ちゃん(日本)。そのまま放っておくとすぐにでも命を落とすだろう…
世界平和の未来ある子供の成長のため、親はその身を削り降りかかるキケンから守ってくれているのだと思う。
親と子の関係、アメリカは日本が大人になった時つまり20歳(おそらくは200年後くらい)になったとき
究極の理想が現実になっていることをを夢みているのだとおもう。そのときが世界の平和憲法になるはずだ。


9条改正案が出てきたのは思春期の始まり…?

これを乗り越えたとき、すばらしい大人となってアメリカから自立しているのだろうか?




ゆら早生園地視察

出荷直前のゆら早生。

地元でも少しづつですが栽培面積が増えてきています。

今日はその園地視察に参加して由良町へ行きました。


和歌山県日高郡由良町で発見された「宮川早生」の枝変わり品種で、樹姿は開帳性、樹勢及び枝梢の太さは中、節間は短い。果形は円形、果実の大きさはやや小。果皮及び果肉の色は極早生としては濃い黄橙色。果皮はやや厚いがじょうのう膜は軟らかい極早生で糖度は高い。

極早生品種のなかでは市場で一番注目されているが栽培面積が少ないため生産量は極少量。


ゆらは他の極早生品種に比べ水分ストレスをうけやすいためマルチ被覆で株元を締めて栽培することが絶対。

なので作業効率を考え、園地整備の段階からマルチシートを敷けるように計画的に植える必要があるでしょう。

マルチ栽培をすることで、必然的に実の肥大はすすまず、Sサイズが中心で小さい。

今回視察させてもらった園地は植栽後、6年間全摘蕾、全摘果をし、ひたすら樹容積の拡大に努め、sサイズ中心の実を収量で補うようしているようです。


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