皆さま
私たちが、本当の自分に目覚める道、
魂の自分へと目覚める生き方。
私たちは、本当の自分に目覚めるべく、
その道を進んでいくのです。
そうして、私は、壮絶な喪失感という
大きな山を越えることができました。
とは言っても、別に、誰かを失うこと、
誰かを失ったことに、何も心が動かない
というわけではありません。
恐らく適度には、悲しい思い出、という
ものが、残っています。
人と人が別れるわけですから、そこには、
悲しさがあっても、自然なことです。
そう、壮絶すぎる喪失感というものは、
時間をかけて、なくなっていきました。
私に、このべったりとくっついていた
壮絶な喪失感、どこか置いていかれて
しまったような、孤独感。
それは、私が生きる上でも、ついて
まわっていたのです。
何をするにも、どこか恐怖感が強く、
誰かと相対するにも、恐怖心がありました。
特に、親しい間柄の人との関係においては、
この人も急に去ってしまうのではないか、
という予期喪失感のようなものも
自然とあったのです。
そりゃあ、生きにくいですよね。
そりゃあ、生きていて、苦しいですよ。
そりゃあ、自分らしくなど生きられません。
はい、これは、壮絶な喪失感と共に
生きていた私にとっては、ということです。
それらが、なくなっていって。
やはり、まず、身体の力が抜けて
いきました。
呼吸もしやすくなっています。
(息苦しさというものを、絶えず感じていたようです)
何をするにも恐怖心がありましたが、
その恐怖心が和らぎ、いろいろできるような
気持ちになっています。
誰かと相対したとき、いつも自分を犠牲に
していた、自己犠牲の精神が当たり前だったが、
そうではなくなっている。
対等だったことが、やっとわかる。
水が怖かったり、狭いところが怖かったり、
暗いところが怖かったり。
怖いところだらけだったが、それが、
軽減されてきている。
いろいろ書きましたが、そう、要するに、
自分らしく生きやすくなった、という
ことだと思います。
他の言い方をすれば、トラウマが癒やされた
ため、生きやすくなった。
ということなのでしょう。
そして、そのトラウマのようなものに、
いかに、私が囚われていたこともわかりました。
ただ、これは、自分自身ではどうにか
できること、ではないのも実感したのです。
なぜならば、無意識下に、そのことは、
起きている。
はい、いったん、私は、大きな山を越えて、
生きやすくなってきている、ということでした。
次回は、では、どうやって、その
大きな山、壮絶な喪失感、トラウマとも
いえるものを癒やし解放することができたのか、
書いていきたいと思います。
自由に個性を発揮できる世界を創造中です。
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皆さまのお力もお借りしながら、書き続けていきたいと
思います。
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