皆さま
人生の最後の言葉を考えるなんて、
縁起でもないと思われる方もいるかもしれません。
でも、実は、逆に、今をどうやって生きるかに
つながることでもあるのですよ。
詳しくは本文をお読みください。
本日もよろしくお願いします。
綺麗な自然に出合ったので
撮影しました。
実はお花ではなく、葉っぱなのです。
【自己紹介】
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「人生の最後の言葉を浮かべてみる物語」
~父と向き合う~
目の前に父親がいます。
でも、父は、以前のような姿ではなく
力なく横たわっているのです。
幼少期に見ていたあの父とは
別人のように感じていました。
それは、ただ老いただけとは思えず、
その過程に様々なことがあったのだと
思います。
そう、実物の父を目にするのは、
数十年ぶりだったのです。
父は、横たわりながら、私という
自分の子どもの存在に気がついている
ようでした。
それは、力なく横たわる父の口元が
微かに動いたからです。
もしかしたら少し笑みを浮かべたかったのかも
しれません。
もう話すこともできないのかな、私は
そう思いました。
私も、そのことを知るのがなんとなく
怖くて「お父さん」と昔のように呼ぶことは
できないでいるのです。
そうして、力なく横たわる父を見ているとき
でした。
父の表情が明らかに変わったのです。
目線も私の方を向いていました。
父の表情は、悲しげに見えます。
後悔の念が湧いているのかもしれません。
父は、重くなった口元をゆっくりと
動かそうとしていました。
何か伝えたいことがあるのだろうと
咄嗟に私も思います。
でも、聞きたいけど聞きたくない気持ちも
ありました。
心のどこかで、そのまま話せないで欲しいとも
思ってしまうのです。
でも、父は、ゆっくりと声を振り絞りました。
「もっと・・・」
「いっしょに・・・」
「すごしたかった・・・」
「・・・」
私にとっては意外な言葉で驚きました。
父の表情がどことなく緩むのです。
私は、驚きましたが、
「同じ気持ちだよ」
久々の父を目の前に、初めて
そう言葉を返しました。
父は、ゆっくりとうなずいているように
感じます。
それから、父は、言葉を続けました。
もちろん、ゆっくりとです。
「おまえの・・・」
「せいちょう・・・」
「していくすがた・・・」
「みたかった・・・」
それが、最後に発した
数十年ぶりに会う父の言葉でした。
父の表情は、悲しげで、やっぱり
後悔をしているように感じたのです。
私は、複雑な思いを感じていました。
その中には、悲しみもあります。
それは、父が、後悔をしてこの世を
去っていくことにあるのかもしれません。
はたまた、実の父との別れもあるかも
しれません。
そんな複雑な感情を感じながら、父は
この世から旅立っていきました。
父の最後は、後悔の念が強かったのです。
でも、それは、決して悲しいことばかりでは
ありません。
そこから、私は、やっぱり後悔してこの世から
去りたくないと思ったのです。
後悔のある生き方をして、この世を去る
悲しみをまざまざと感じたからにあります。
そう、それから、私は、最後の言葉を
今を生きるために考えるようになりました。
「生きてきてよかった」
そう言いたいと、今を一緒に生きる
家族を前にそう思うのです。
【終わり】
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執筆依頼なども承っております。
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この物語を読んで何か一つでも
感じていただけたら嬉しく思います。
想いを乗せて書いています。
皆さまよろしくお願いいたします。