皆さま
頭の中で行われる思考と、心を
うまいこと切り離して生きていけるように
なると、より一層楽に生きられるように
なると実感しております。
それには、自分で気が付いていくのが
一番です。
どんなときに気が付きやすいかを
玉ねぎが教えてくれました。
詳しくは本文をお読みください。
本日もよろしくお願いします。
【自己紹介】
-----------------------------------------------------------------------------
「自分を護るために奮闘する思考を労う物語」
~玉ねぎの皮が護るもの~
玉ねぎがひとつありました。
玉ねぎには皮がついています。
玉ねぎの皮は、その中にある
中身を護ろうと思っていました。
「周囲の敵から護ろう」
「腐らないようにしっかりと見護ろう」
「自然災害から護ろう」
「動物に潰されないように護ろう」
「過去の経験からすると・・・」
「人間は、僕たち玉ねぎのこと無駄にするかもな」
「もしかしたら・・・」
「おそらく・・・」
「こうなるかもしれない」
玉ねぎの皮は、いろいろと
思考を巡らせるのです。
でも、それは、自分を追い詰めるのではなく
護るために他ならなかったのです。
過去の経験や、まだ見ぬ未来を
思えば、不安になることもあります。
それが、なぜ思考が巡るのかと言えば、
そう、まさに自分を護るためだったのです。
玉ねぎの中身は、そのことに気が付きませんでした。
むしろ安心して、そこに存在しています。
それに気が付いてびっくりしたのは、
まさに玉ねぎの皮自身だったのです。
こんなに気を回していろいろ考えている
自分って、おかしいのだろうか?
なぜ、こんなに思考を巡らせては
不安になっているのだろうか?
ずっと疑問だったのです。
でも、玉ねぎの皮はようやく
答えを見つけました。
「そうか、自分自身を護るためだったんだ」
それに気が付いた玉ねぎの皮は、
心の底から安堵したのです。
「よかったあ」
人間は、とにかく思考を巡らせます。
それによって、安心して楽しくなると
生きていても楽ですが、ネガティブに振れていくと
大変に感じます。
でも、なんで思考を巡らせて不安になるかと
いえば、根本的には自分を護るためだなと
気が付きました。
それによって、私もとても安心したのですよね。
人間に思考と心があるのだとすれば、
思考が心を護ろうと必死になって、思考を
巡らせて、最悪の事態を回避しようとしてくれている、
そのことに気が付いてあげると、思考も自分の存在意義が
理解できて、ホッと安心できるのだと、
私自身も経験を通じて感じました。
私にとっても大きな気づきになったので、
物語にしてみた次第であります。
【終わり】
-------------------------------------------------------------------
執筆依頼なども承っております。
-------------------------------------------------------------------
この物語を読んで何か一つでも
感じていただけたら嬉しく思います。
想いを乗せて書いています。
皆さまよろしくお願いいたします。