皆さま

 

自分が大切に思う人というのは、

 

本当に自分に様々な気づきや

 

学びをもたらしてくれます。

 

そんな風に大切に思う人のことを

 

見てみると新たな発見があるかも

 

しれません。

 

「大切な人なんていない」という方が

 

もしもいらっしゃいましたら、

 

今現在までのの少しでもうれしかった

 

出来事などを思い返して

 

「大切な人を探してみる」ということも

 

新たな発見につながると

 

思います。

 

本日もよろしくお願いします。

 

初めましての方は、こちらから自己紹介を兼ねた

僕の物語をお読みいただくことができます。

【まとめ】不安な人生から安心の人生に転換した僕の物語

 

では、書いていきます。

 

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「家族を見張っていると気が付いた僕の物語」

 

大切な人であればあるほど、

 

その人のことって気になります。

 

僕の場合は「幸せな家族を築きたい」という

 

思いがあるようなので、

 

それが「家族」にあたることが

 

多いのです。

 

家族が自分の思うように

 

行動していなかったりすると、

 

僕は「こんな風に行動してほしい」と

 

勝手に無意識に願っていたのです。

 

それは僕のエネルギーを

 

酷使する結果となっていくのです。

 

・体調が悪いときはこうするべきだ

 

・体が冷えるから早くお風呂に入りなさい

 

・夜更かしすると明日が辛いから早く寝なさい

 

言葉にしては言いませんが、

 

こんなことをいつも一緒にいる

 

家族に思っているとしたら

 

僕が疲れるのも当然ですよね。

 

そうです。

 

ずーっと見張っていたのです。

 

でも、家族は家族であって

 

僕とは異なる人間です。

 

同じように感じて考えて

 

行動することのほうが

 

ずっと不自然です。

 

それにも関わらず僕は

 

僕の考えた通りに動くよう

 

どこかで見張っているのです。

 

家族が病気になれば

 

僕も同じ気持ちになろうとしてみたり、

 

家族が怒っていたら

 

僕が怒られているか

 

一緒に怒っている気持ちに

 

なってみたり、

 

家族が乗っている電車が

 

動かなくなったら

 

自分が電車が怖かった頃のことを

 

思い出して一人で

 

怖くなってみたり、

 

一人で疲れることばかりを

 

選択していました。

 

そんなとても敏感な僕は、

 

(言い換えてみてれば

 

共感する能力が高いとも

 

とらえることができるのですが)

 

このことは

 

「僕が家族を信頼していません」

 

そう言っているものと

 

同じことだったのだと

 

気が付いたのです。

 

それは、すなわち

 

自分を信頼できていなかった

 

いうことなのだと思います。

 

自分を信頼していたら、

 

家族がどんな風に感じて

 

考えて、行動して

 

どんな結果になろうとも

 

「僕は大丈夫」

 

「家族も大丈夫」

 

思えるのだと感じます。

 

「自分が大切に思う人」

 

ここでのコミュニケーションでは

 

本当に思ってもいないような

 

大切な気づきが隠されていることが

 

多いように思います。

 

「家族を見張っていなければ、

 

僕は安心することができない」

 

という不要な思い込みは

 

手放すことに決めました。

 

僕と同じように大切な人を見張って

 

疲れてしまう人に、この物語が

 

届くとうれしく思います。

 

【終わり】

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この物語を読んで何か一つでも

感じていただけたら嬉しく思います。

世の中が今よりも幸せな場所になっていきますよう

想いを乗せて書いています。

 

皆さまよろしくお願いいたします。