皆さま

 

ネガティヴな感情が湧くことと

 

心配性であることは、

 

同じことだと認識していましたが、

 

これは別物であるように

 

感じてきました。

 

もちろん、心配性が故に

 

心配のエネルギーを生んで

 

ネガティヴな感情が湧くことも

 

あると思います。

 

ただ、心配性である必要は

 

もうないのだと気が付いた

 

僕の物語です。

 

本日もよろしくお願いします。

 

初めましての方は、こちらから自己紹介を兼ねた

僕の物語をお読みいただくことができます。

【まとめ】不安な人生から安心の人生に転換した僕の物語

 

では、書いていきます。

 

-----------------------------------------------------------------------------

 

「心配性の僕が、自分を信頼することが大事だと気が付いた僕の物語」

 

様々な不安を抱えて

 

数十年を生きてきて

 

気が付いたら、僕は

 

心配性と言われても

 

おかしくないほどの

 

心配をする人間になって

 

いたのです。

 

むしろ、他人の心配をすることは

 

愛情の形だとさえ

 

どこかで思っていました。

 

心配しない人を見ると

 

なぜ心配しないのだろうか?と

 

言われもない愛情不足

 

容疑をその人にかける

 

ほどだったように思います。

 

しかし、そんな重たいエネルギーを背負って

 

身も心もその名の通り

 

身動きができなくなって、

 

ようやくようやく

 

ここ最近になって

 

自分と向き合い、

 

感情解放・自己解放と

 

言われることを

 

行って、ずいぶんと心配性の気も

 

影を潜めていきました。

 

しかし、癖というものは

 

そんなに簡単には

 

消えたりしなかったのです。

 

やっぱり、どこか

 

心配になってしまい

 

スイッチが入ってしまうのです。

 

それは、特に自分が大切に

 

している人に発動します。

 

例えば家族だと

 

「早く寝たほうが良いよ」

 

「体調悪いのは食べ過ぎだよ」

 

「体調悪いなら寝てなよ」

 

「早く帰って来なよ」

 

「体調悪そうだな、なんとかしなきゃ」

 

「元気なさそう、もしや悪い病気なのかな」

 

いやいや、そんなことを

 

勝手に心配をエネルギーとして

 

妄想までして

 

考えています。

 

他人の人生を勝手に

 

決めようとしているのです。

 

それに気が付いたとき、

 

こんなことを考えて、

 

悶々と心配を募らせるということは

 

相手のことをまったくもって

 

信頼していないと

 

感じたのです。

 

大切な人なのに、信頼していない・・・

 

それは僕にとっては衝撃的な

 

気づきでした。

 

それは人様の大切な人生、

 

自分で考えて気づいたりして

 

軌道修正しながら

 

成長しようとしているのに、

 

家族だからといって

 

あーだこーだ心配されたら

 

その人の自主性まで

 

奪ってしまいます。

 

僕はとっても身勝手なことを

 

していると感じたのです。

 

(もちろん、心配をゼロにする必要はないと思います。必要な感情だと思います)

 

そうして、他人を信頼していないのは

 

その後何かが起きると

 

「自分が困ってしまう」というのが

 

根底にあると気が付いたのです。

 

そう、それはもうハッキリ言えば

 

「自分自身を信頼していないということ」

 

もう、それに尽きます。

 

自分を信頼していないと、

 

大切な人が心配になって

 

大切な人がどうにかなってしまって

 

結局、自分が悲しんだり

 

困ったことになるのが

 

怖いのだと思うのです。

 

恐怖感からきているのだと

 

気が付いたのです。

 

そう、一見、大切な人を

 

心配するというのは

 

一種の愛情でもあるのだと、

 

たしかにその一片は

 

あるかと思います。

 

ただ、「心配の大きさ=愛情の大きさ」と

 

思い込んでしまっていると、

 

どんどん自分を心配で

 

追い込む形となります。

 

自分だけではなく、その相手をも

 

巻き込むことになるのです。

 

ただ、基本的には自分を

 

信頼していないからこそ

 

起きる心配なわけであって、

 

自分を信頼して、大切な人も信頼して

 

そうして、自分は心配という重たい

 

エネルギーを発することなく

 

軽い感じで生きていることが

 

相手にとっても負担にならずに

 

進んでいくことになるのです。

 

きっと、良く言われる

 

「成るように成る」のだと

 

思うのです。

 

心配性だとどうしても

 

人をコントロールしようとします。

 

それで、思うように動かないと

 

モヤモヤします。

 

心配のエネルギーを使うので

 

自分も相手も想像以上に

 

疲れます。

 

それを繰り返しながら、

 

心配性のエネルギーを

 

どんどん大きくしていきます。

 

すると、僕は苦しくなりました。

 

苦しいと気が付きました。

 

だから、これに気が付いたからには

 

もう心配性をやめることにします。

 

「大切な人のことを信頼します」

 

何よりも「自分のことを一番信頼します」

 

どうなろうと、絶対に大丈夫なのです。

 

心配性にエネルギーを

 

使うのではなく、僕は

 

この世の中に幸せが少しでも

 

広がるように物語を書いて

 

いくことにエネルギーを

 

使っていこうと改めて

 

決めなおしたのです。

 

この物語が心配性で苦しむ方が

 

少しでも減ることにつながると

 

とてもうれしく思います。

 

【終わり】

------------------------------------------------------------------- 

この物語を読んで何か一つでも

感じていただけたら嬉しく思います。

世の中が今よりも幸せな場所になっていきますよう

想いを乗せて書いています。

 

皆さまよろしくお願いいたします。