前回は、
幼少期の私と英語について書いてみました。




その後、
思春期になってからの私と英語の関わりを書いてみたいと思います。




もう、ほぼ、私の生い立ちですね💦
また、長くなりますがお付き合い下さい。




幼稚園の頃は近所のE◯◯に通いました。



具体的に何をしていたのか?
あまり記憶にないのだけど、曜日の歌とか英語の歌だけはいまだに覚えていて歌えるんです😊
歌の力ってすごいですね〜!



小学生の頃はNHKの海外ドラマ
「頑固じいさん孫3人」が大好きになり❤️ 
毎週、楽しみに見ていました。
私の中で、アメリカ人家族ってこんな感じだなぁというイメージが膨らみました。

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画像お借りしました。


小学生の頃は、ピアノと公◯を習っていて、特に英語の勉強はしていなくて、英語との関わりと言えば、好きな洋楽を聞いたり、映画を沢山見たりしていました。


Back to the future
のMichael.J Foxが大好きでした❤️

英語をしっかりと勉強し始めたのは
中学に入ってからです。

 
父の影響で洋楽は好きだったのですが、
中学1年の時にNew Kids on the Blockにハマって、曲を何度もきいて、歌詞を書き写して、完璧に歌えるまで何度も何度も練習しました。
愛の力ってすごいですね。

でも、この聞き込み&アウトプットの方法が英語を勉強する上で一番上達する方法だと今でも思います。


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そして、


初めての留学は中学2年生の時でした。


中2の夏休みに1カ月、アメリカ🇺🇸
カリフォルニアのLake Arrowheadという湖が有名な街へホームステイしました。



初めて、アメリカの地に降り立ったときの
アメリカの匂いを今でも鮮明に覚えてます。



やっぱり、アメリカ!
何もかも大きい!
が第一印象でした。



そして、ビックリしたのが、初めてのホームステイのお家がメキシコ系アメリカ人のご家族で。
なんと、お父さんとお母さんと2人の子供は家庭内ではスペイン語を話していました。
私には英語で話してくれるのですが、私の想像していた「頑固爺さん孫3人」のような家庭と全く違って、、、少しショック😱。。。
でも、「人種のるつぼ」であるアメリカらしさを肌で感じられたのでした。


でも、良かったのは、料理が典型的なアメリカ料理(ステーキやピザ)ではなく、お米やタコス🌮トルティーヤなどのメキシコ料理でした。日本人の味覚に合って、とーってもご飯が美味しくて最高でした。


楽しい日々を過ごせたのですが、英語をあまり勉強していなかったのでyes か noくらいしか話せず。。😱お世話になったお礼もろくに言えず。。日本に帰って来た事が心残り。。



そこから

一念発起!して、
真剣に英語を勉強!!!
いつか、ホストファミリーに会いに行こう!
と決心しました。


本格的に目標を持って英語の勉強に取り組み始めました。高校生時代は、四谷にある日米K学院に通いました。この学校は、通訳やビジネス英語のクラスもあって、外国人講師による授業もあったと思うのだけど、どんな授業だったかは、、?
正直覚えてないです。。




高校を卒業して、すぐにでも海外へ行きたかったのですが。。



両親より日本での学歴は持っていた方が良い!と強く勧められ、日本の短大の英文科を卒業。
短大時代は、勉強よりバイトに明け暮れて。
全く勉強はしませんでした💦


そしてバイトして貯めたお金で短大時代の夏休みに、1ヶ月サンフランシスコへ留学しました。



ホームステイは優しい老夫婦とチワワの家族。
この老夫婦はピノキオのゼペット爺さんと婆さん
を絵に書いたような夫婦でした。
家に作業場があって、いつも手作りの木のおもちゃを作っていました。


また、ビックリだったのが、老夫婦は朝晩の夕食を共にするくらいで、私達を連れて遊びに行く事は無くて、同じ家に台湾人のルームメイトがいたのですが彼といつも、行動を共に過ごしていました。



ホームステイ先に同居人?
しかも異性!!?
最初は、えっ?と思いましたが、


サンフランシスコの街を歩くにはむしろ異性の方が安全上、安心出来て、本当の兄妹のように仲良く過ごし、台湾の文化も沢山知ることができました。


そして、短大を卒業後、改めて大学進学と英語スキルの上達という目的のもと長期アメリカ留学を決意しました!



行き先は、もちろん
カリフォルニア!



2年間という約束をして飛び立つのです。



そこでまたまたビックリ仰天だったのは
ホストファミリーの家に、すでに2人も!
日本人の女の子が住んでいた事。
私で3人目でした。



そうです、この家族はお金儲けのために
学生を受け入れていました。。
なのにご飯はマックのハッピーセットとか、
レンジでチンするディナープレートとか、
週末にどこかへ連れて行ってくれるわけでもなく。。毎月600💲も食費と家賃を払っているのに!!ガックリでした。_| ̄|○



はやくここから抜け出さなきゃ!



と頑張ってアパートを探し
半年後に晴れて自立!!



そこから、2年という約束をやぶり、ビックリ体験を沢山しながら現地のすし屋でバイトをして(はい、違法です💧)極貧生活をしつつ5年間という長い間アメリカで過ごすのですが。。



アメリカでの5年間の話は
また長くなるので、次回にしますね。



読んで頂きありがとうございました
❤️❤️❤️