こんにちは
chamama(のりこ)ですニコニコ 
 
特別支援学校を卒業して 
現在 生活介護に通う 
 
重度知的障害(という判定)と 
少しマヒがあり ちょっと身体障害も入った
23歳の息子 chamaとの日常の話から 

あまりに困って 使いやすいものを求めて
あれこれ研究しはじめた
衣類のことを お話しています



 

先月から 実家の片付けに行っていたので

お盆休みが明けてから 腰に気をつけて

無理しない程度に また再開していますニヤニヤ

 

若い頃の自分を思いだしたり 感情が忙しい(笑)

 

アラフィフで だいぶ角が取れてきた今 

自分を 客観的に見られるように 

なっていると気がつきました。

 

また親が言っていた あまり喜べないと思う話の

意味が理解できたり 年をとったと感じますな笑い泣き

 

そういえば 自分を保つために

誰かと自分を比べる人 いるよね。

 

わたしも昔は よくやってたわ。

 

 

 

時代と立場が変わっているから

今なら考えちゃう!と

思うこと あるわね

 

…ということで時々 昔を振り返りながら

子供目線の当時と 今のわたしが感じることを

ブログにも書いていきたいと思いますウインク

 

小さい頃から福祉が身近だった わたしですが

今で言うところの ヤングケアラーだった時期の

 

高校生の頃は 親との衝突が激しかったので

家に帰るのがホントにイヤで 夜遊びしたり…

 

昔は見ている世界も狭く 何に対するイラ立ちなのか 

自分でも気持ちの整理が できなかったんだな笑い泣き

 

親に対する嫌悪感だと思っていたけど 

反抗期は それだけでもなかったし

 

やりたくないことを 拒否できない歯痒さと

逃げ道のない 大人の代わりをしていた重圧や

 

社会の理不尽さも イヤだったしねぇ。

 

そんな誰にも頼れない中でも 必死だったし

頑張ってきた自分が 可愛いと思いました笑い泣き

 

 

しかし『世間の福祉に対する考え方』が

時代とともに変わってきているとは言っても

昔はヒドかったところ あったんだなぁ…。

 

社会に広がる雰囲気や 価値観が作られる時に

「障害者という存在が必要だった」んだろうと

 

外側から見る感覚で考えたら 今は冷めるわ(笑)

 

切実な問題として 長く悩んだこともあったのが

今となっては 大したことなかったと笑えるね。

 

この数年 わたしに強く戦闘意識が出てこないのは

そういう変化も あるんだと思います。

 

何かされたことに対して 噛み付いて

倍にして返したり 相手を叩きのめすことに

達成感や やりがいを感じなくなったし…。

 

たまにあるけど もう昔のようなパワーないよ

 

悩んだり悔しい思いをしてきたから 

余計に したくないこと なりたくない人間が

ハッキリと浮き彫りになったので

苦しかった経験や過去が あって良かったわウインク

 

学生の頃は 自分からの視点でしか

ものを考えられないから 見えなかったけど

 

社会構造という視点で 自分のいた場所を見たら

うちの両親は 使いやすい存在だっただろうね。

 

一部の人には 障害者って利用しやすいんだな。

それだって使えるのは ごく一部の人の話チーン

 

人と比べるのに 2通りの使い方があるからね。

 

①障害というハンデがありながら 

頑張って普通の人以上に生活をしている

②ここまでしないと 普通の生活を送れない人がいる

 

共通して言えるのは 自分と誰か(障害者)を

比べる対象として 見られているということ。

 

きっと母親は この極端な社会からの視線を

感じながら 下らないと思って

生きていた時も あったんじゃないかな?

 

今は人と比べて 自分を見ることが減ったから

若い頃よりも 淡々としているせいか 

母の気持ちが想像できるのです。…っていうか

 

 

わたしが時々 周りに言われるのが

 

あんな子供がいても よくやってる!

お兄ちゃん(chama)を育てていても 楽しそう!

 

世間してもらう立場なのに 強気なこと言うな!

生産性のない子供がいるのに 偉そうにするな!

 

後半の言葉は 心の貧しい人でしょうけど(笑)

 

わざわざ八つ当たりでもしたいのか ご丁寧に

公式にメッセージくれた人もいたなびっくり

 

人に自分の考えを押し付けてくれて

余計な お世話ですけどね。

 

自分のことは明かさないのに 一方的に話して

粘着質な感じだったから 暇な人なんだろうね

 

自分が満たされない生活を している人にすると

 

わたしみたいに自分の意見を ハッキリ言うことや

合わないと思ったら 早く環境変えたりするのは

ガマンが足りないと 思うのかもしれないねショボーン

 

障害のある子供がいながら 自分よりも

楽しそうに生きていられたら ムカつくし

許せないと思ったりも するんでしょう…

 

自分より悲壮感ないから 腹が立つんだろうね。

 

人の施しを受けないと いられない子供がいて

贅沢言うな!と いうところでしょうか?

 

『障害者』と聞くと ネガティブな

イメージが圧倒的なんだろうね

 

誰かの大変さと比較して 自分は まだマシだとか 

自分の方が大変だとか 考えることが

そもそも違うんだと思うのよ。

 

大変な子供がいるのに よくやってる!というのも

手がかからない子供の 育児と比較しているから

出てくる言葉じゃない?

 

確かにchamaは手がかかる子だけど 

その育児しかしたことがない わたしには 

この生活が普通というしかない(笑)

 

そりゃ いつも自分で食べてくれたら…とか

オフロくらい 一人で入ってくれたら…とか 思うよ

 

だから世話を 楽勝だと思ったことはないな。

 

でも誰かに 認めてもらいたくて

chamaの育児を しているわけではない。

 

自分のできる範囲のことしか してないのよね。

 

疲れることはあるけど ムリだと思っていたら 

とっくにchamaを手離してるわ。

 

なので よくやってる等と言われても

わたしは正直 ピンとこないんだよね。

 

うちの両親に置き換えてみれば 

 

そんな障害があっても よくやってるね。

ママいつも元気で明るい人だね。って言葉。

 

たまたま幸運にも 色んなことに恵まれ

明るく元気に 頑張れてこれたってだけの話よ。

 

母は聴覚障害と身体障害のダブルマイノリティ

 

わたしは 母ほどの頑張り屋ではないから

時々 人に言われるくらいで終わりだけど

 

きっと親は 特別なことをしているつもりもなく

ただ懸命に生きていただけなのに

 

勝手に周りから持ち上げられて 複雑な気持ちに

なることが 多かったんじゃないかな。

 

 

そういえば両親は よく表彰されてたわ。

 

県や市町村で表彰されたり そこから取材がきて

新聞に載ったこともあったのよね。

 

秋になるとどこかの福祉大会に 妹と一緒に

連れて行かれる事が 何回かあったな。

 

ほとんどの表彰された内容は 簡単に言うと

障害があっても頑張っていてスゴい!

ということだったと思うけど

 

両親が受賞を 喜んでいた記憶はなくて

断っていたことは印象に残っている。

 

子供の立場で見ていても 親の障害者の知人に

親族の援助なしに 自分たちだけの力で

マイホームを建てた 障害者はいなかったし

 

妹は中学から 私立に行っていたから

地元の聴覚障害者の中では 他の人より両親が

経済力のある人だったのは わたしにも分かる。

 

でもそれは 両親の努力もあったと思うけど 

良いご縁があったり 恵まれていただけのこと。

 

だから表彰なんかされても うちの親は

あまり喜ばしいと思わなかったんだろうな。

 

障害者なのに…って 前置きがイヤだよね。

 

感動ポルノじゃないけど 美談にされてもねぇ滝汗

 

会の主催者や 表彰する側にしてみれば

賞を あげることになるわけだけど

 

親にとってみたら そんな賞は別に

もらいたかったわけでは ないと思う。

 

なんとなく優性思考の先に わざわざ?あえて?

作られたもののような気がしてならない。

 

この数年のコロナのことでも思うけど

社会の方向性や 歪んだ教育の背景・思想を考えても 

 

誰かが意図する方向へ 流されるうちの

一つのコマにしか 過ぎないように思うのよね。

 

出しているのを見たことはなかったけど 

父親のクローゼットから こんなのを見つけたわ。 

 

 

身体障害者の自立更生者

更生援護功労者知事表彰記念 

 

自立更生者?更生した人ってことよね?

 

更生者って響きが…どうもザワつくわね滝汗

 

 

『更生』の意味から考えたら 

あまり良いイメージないやんけポーン

 

身近なところだと 更正相談所があるから 

『更正』が 悪い意味ではないのは分かるよ。

 

昔は頑張る障害者に対して 自立更生者なんて 

言い方をしていたとは 全く気がついてなかったわ。

 

今は『知的障害者』と言っているけど 少し前は

『精神薄弱者』と 言っていた時期がある滝汗

 

実際わたしが 専門学校に行っていた時は 

『精神薄弱者福祉法』だったもんね。

 

60代以上の人から chamaたちのことを 普通に

精薄の子は…なんて言っているのを 聞くと

 

子育てを通して 彼らが身近になったら

えっ…キョロキョロと なんだか抵抗を感じたり💧

 

当時は 何の抵抗も感じなかったり 

当たり前のように使われていたけど

 

昔の言い方を 今 違う立場から聞くと 

ザワつくものあるわね

 

 

 

それから今頃 気がついたことがあったわびっくり

 

母親は よその家の子と自分の娘を

比較することはなかった!

 

友達と比べられて イヤな思いをした記憶もないし

誰かみたいになるように 言われたこともなかったわ。

 

うちの家庭は普通ではない…

周りの人と わたしは違っている… 

 

常に誰かと比較しているのは

他でもない わたし自身だったのよね。

 

政府運営洗脳キャンプ 

学校の影響も 関係しているかな(笑)


わざわざ誰かと比較することもなく 

自分の人生を 楽しく生きることだけに 

集中していればよかったんだ笑い泣き

 

当時は わたしに感じる余裕がなかっただけで

 

両親に愛されていたことを

実感したことばかり😭

 

周りに振り回されず 自分の思うように真っ直ぐ

生きていくことって ホントに素晴らしいね✨ 

 

マイノリティだったからこそ

できた生き方なのかもしれないとも思う。


生きていた頃には分からなかったけど 

両親の強さと 大きな愛情に感謝ですお願い

 

今更ながら 小さい頃から常に少数派の中で

変わり者で生きてきた わたしは それが普通。

 

この先も またザワつく言葉に出合うかもしれないけど

これからも少数派で 何も問題なしだわ。

 

chamaにも 障害があっても堂々と胸を張って

生きていってほしいと思う 母なのでありましたニヤニヤ

 






 

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