
あまりに困って 使いやすいものを求めて
わたしがchamaと 都内に行くようになって







私が このプロジェクトが成功して欲しいと
思う理由は いくつかあります。
家族でのお出かけの時や 旅行(地方)でも
利用できるサービスが あったらいいと思うので
例えば障害のある家族と きょうだい児も一緒に
家族みんなで お出かけや旅行に行く時に
癇癪を起こした家族に 親が付き添っていたりすると
きょうだい児が したいことをガマンしたり
最初から諦めてしまうことが あるかもしれません。
公的なサービスではなく 自己負担でも
少しの自費を使うことで マンパワーが増えてれば
用事や観光の最中など ちょっと困った時を
想定して 人にお願いができることによって
障害のある家族の 対応をしてもらっている間に
きょうだい児や他の家族は 用事を済ませたり
一緒に観光を楽しむことができて
家族だからといって 親だけでなく
きょうだい児も ガマンすることが減ります。
一日中行動を 共にしてもらう必要はないので
用事のある時間帯や 観光をする予定の時間に
このサービスを使うことができれば
もっと気兼ねなく 家族みんなでお出かけを
したいと思う気に なるかもしれない
旅行や帰省で地方に行った場合は 当然ですけど
現行の福祉サービスは 利用できないわけで
常に誰かが ガマンしたりすることを考えたら
用事や旅行に 家族で出かけることなどに
ついつい躊躇してしまうことも
諦めなくて済むように なるかもしれない。
また 地元で関わりのある人でなくても
障害特性について理解があり
サポートをお願いできる人が いるというだけで
安心して お出かけができるかもしれない。
自分の生活エリア以外で そんなサポートを
してくれる人がいたら 心強くないですか?
もし親亡き後にchamaが 千葉県のお友達の所に
行きたいと思っていたとして 人が
それを知っても 願いを叶えるのは難しい…。
お友達が迎え入れる準備を してくれたとしても
移動のところまでは 面倒を見てもらえない。
普通に成人男性が お友達に会いに
行こうと思ったら 条件さえ整えば行けるのに
障害があると どうしてそれが
やりたくても 出来なくなってしまうんだろう…
余暇に関することなら 良くないですが
まだ仕方がないと思うのかもしれないけど
では普段の生活の中で 人が普通にできることを
障害があるから…と
できないのは仕方ないと 当然のように
ガマンしなければ いけないのかしら?
私たちが 生活を成り立たせるために
仕事に出ようとした時は 拘束時間中でも
休憩で買い物に出たり 食事をとったり
トイレに行ったりすることも ありますが
重度の障害のある方達は 生活の中では
支援を受けることができても
経済活動(仕事)をしている時に
福祉サービスを 利用することができません。
これって働きたくても 働けないってことよ!
普通に人がする 勤務時間中の食事やトイレが
一人では できないってことになるからね
同じ人間なのに病気や障害があると
どうしてそんなことが 難しくなったり
できなくなってしまうんだろう…
休憩時間にランチをとったり
トイレに行く時に 介助が必要な場合は
誰かの助けが必要になりますが
それを福祉サービスで…となると
経済活動では使えないって 働くなってこと?
オフィスで働きたくても 介助等の困りごとがあって
在宅勤務している人も いると思うんだけど
そういう人の経済活動にも ヘルパーさんが入り
たくさんの人に混じって 働けたらいいのに…。
職場に病気や障害のある人が いることで
知らなかったことを 知る機会ができて
周囲への理解が進む 可能性だってあるじゃない。
働けないなら 障害年金とかあるでしょ?と
いう人がいるかもしれないけど
働きたくても働けないんだとしたら
それってなんか おかしくありませんか?
あ!仕事に限った話じゃないわよ。
病気や障害が理由で 学校生活を送るのが
難しい人だって いると思うんです。
特別支援学校から大学に行きたい!と
思う人がいても 不思議ではないけど
何かしらの介助が必要な人は ヘルパーさんとか
お願いできないと 進学は選択肢から消えるかも…。
いつまでも親が付き添うのも 違うじゃん
仕事も進学も したいと思っていなくて
本人が望んでいないなら それはそれでヨシ!
望まないというのも 自己決定であるからね。
でも望んでいるのに 選択肢がなかった…っていうのは
ここでもやっぱり なんでできないの?と思うわ。
できないから諦めるって
不平等で おかしくない?
他の人ができることは 誰にでもできる社会で
あってほしいと わたしは思うのです
マンパワーどうするのよ? って話は
ここでは考えないで 話してますよ!
だって選択できるって ステキなことだよね。
誰の人生でもない 自分の人生の選択できるって
どんな結果になっても 自分で決めたことなら
受け入れることもできると思う。
でも選択肢すらなく そうやって生きる以外に
道がなかったとなったら…
自分の人生なのに 納得していなくても 誰かに
生き方を 決められてしまったみたいで悲しい。
そんなの悔しすぎるじゃん!
だけど今も 使える制度をフル活用しても
そういうことに納得してないけど 自分の人生や
生き方を選択できない人が いるのも現実。
人生や生き方とは違うけど
生活の一部ということを考えれば
chamaの生活に なくてはならない
フリラックス・スーツも同じかも
市販品の介護つなぎでは 使えるものがなくて
わたしが思いついて 最終的に手をつけたのは
オーダーメイドだったからね。
そう考えると
オーダーメイドサポート
あってもいいじゃん…
いや むしろ自分のライフスタイルに合わせた
サービスを受けられるシステムって サイコー💖
大事なことなので もう一度
https://readyfor.jp/projects/abilitylabo
東京でスタートするとの お話なので
chamaも 利用させたいと思っています。
このオーダーメイドサービスが
東京から全国へと広がっていくことを願って
私も応援させていただきます。
どうか応援を よろしくお願いいたします。