こんにちは
chamama(のりこ)ですニコニコ


昨日から足が 筋肉痛で 
階段を降りるのが ちょっとツラい滝汗

単なる運動不足でございまして 一昨日
chamaを追いかけて 久々に走ったからです。

最近は ホントに夜になると眠くてダメで
ムリしたくても どうにもできない…

それに比べて 若いからchamaは元気だわニヒヒ

今朝もニコニコで 作業所に行きました。


さて…今日の本題!

現実を知ってもらうことで 
何かに生かせるのであれば 

知ってもらえることは とても嬉しいけど

それを利用して
手柄にしようとしてないよね?

この話 発想は すごく いいと思いました真顔

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200825-00177412-fnnprimev-life


食事中に会話をしないで
コミュニケーションを取るということは 

手話なら ある程度は可能だと思います。

だけどさぁ~ それが可能になるには 
そこそこ日常で使わないと 難しいのよね。

私たちが言語を使った コミュニケーションを
身につけてきた過程を 
思い出してみたらどうだろう…

手話年齢で言えば 全く知らない人は
0歳と同じぐらいなのよね。

0歳と同じぐらいという表現をしたのは
言葉の意味を まだ理解していない
まっさらな状態とは違うから。

私たちが 言葉を操り 意思疎通ができるまでに 
生活の中で その場面に適した言葉を使うことで
使い方を覚えてくると思うので

1歳の子 3歳の子では コミュニケーションの
スキルは かなり違ってくるはずです。

1歳の子が いきなり小学生の中に入って 
すんなりコミュニケーションが 
とれるわけではないのと同じで

それなりの時間も経験も必要になります。

給食の時間に 口で おしゃべりしないで
手話で会話を楽しめたら それはサイコー!

もしそれが可能になるなら大歓迎
私も ホントに大賛成です。

でも さっきもお話ししたように
生活の中で少しずつでも使っていなければ
給食の場面だけで使うことは 難しいとなると

普段の学校生活で 誰が手話を教えるのかしら?

発想は素晴らしいけど
話に乗っかっただけで

現場に丸投げして
学校に任せないでほしい❗


ただでさえ激務なのに 手話の勉強までするのは 
教員への負担が増すだけで

仮に教員が 手話の勉強をしたとしても 
それを普段の活動に生かせるように
人に教えるというのは また別の話です。

現場で頑張っていらっしゃる
先生方の負担を考えると 簡単な話じゃない。

文科省が こんなこと言ってるわ
考えが浅くて ウケるんですけど…

聴覚障がい者との「 聞こえない」世界を
体験した後 萩生田文科省はこう語った。

中略
「 聞こえない」 体験を通して 
聴覚障害へ理解を深めることができるのだ。

この体験を萩生田氏は
「 想像力を育み障害のある方への理解が深まるすごく良い体験」だと絶賛し、

「 小学生など子供達にも体験してもらいたい。
身振り手振りでコミュニケーションを 取ることを身に付けるのも 生きる力になると思う」と述べた。

私は読んで 上っ面だけの頭悪そうな人が
考えそうで とんちんかんだな話と 思っている。

だって 最初の話では 給食の時間に手話を
使って コミュニケーションが楽しめたら…
という話だったよね。

想像力を育み 障害のある方への理解が深まる?

ちょっと!話ズレてるわよ!

別に聴覚障害者の世界を理解しなくても 
手話を楽しむことは いくらでもできる。

歌に手話をつけることもあるけど
それと障害者の世界を理解することは 別の話

そんな理解なんてなくても 
手話つきの歌を やる人いっぱいいるでしょ。

実践的なことを考えれば 
実際に聴覚障害者に関わってもらった方が
生きた手話を使えるようには なれるわよ。

そこまでの話ではなくて

この話の趣旨で考えたら 
楽しく手話を使えるようになって 

給食の時間に 会話をせずに
コミュニケーションをとれる事が目的でしょ。

しかもそこへ 障害への理解が深まるとかって…


知ることと理解することは 別なんだよ❗

フェイスマスクの必要性についての
理解は進んだから それは一歩前進だとしても

使うことに対する 配慮が不十分なのと同じ

すぐに 理解につながるわけではありません。

一般の人でも 風邪を引いてしまった時など 
話したくても 声が出せない時なんかは 
手話を使えると すごく便利なんです。

聞こえるか 聞こえないかという話よりも
給食以外でも意外の場面でも 

手話が使える楽しさを知ることが
理解に結びつくこともあるのに…。

楽しもう❗って感じでも ないわね

なんか理解をセットで持ってくるのが
上から目線な話に聞こえるわ

多様性を知るという意味では 
普段の学校生活の中に 少しでも手話を
取り入れてもらえることは 嬉しいので

できたら 手話に関係する人を
うまく活用してほしいと願います。

福祉の分野の人が関わることは
メリットだけではなく また そこに

面倒な しがらみもついてきて 
子供たち抜きに 大人だけが満足して終わる 
危険もありますが…

子供たちの学ぶ機会となり きっかけになるなら
大人の事情は どうでもよろしいわ。

通訳さんは数が少なく 忙しいのでムリですが 
必ず 地元の手話サークル等があると思うので

そういう人達から 教わるチャンスを作るように
学校の活動でも 手話のできる人が
何か一緒にできる内容を模索するなど

当事者に近い人に 関わってもらい自然な形で 
楽しみながら手話が身につくといいな

私達だって 外国に行った時 
日本語以外で話そうと思っても 
普段から 外国語に馴染んでいなければ 
道を聞くこともできませんよね。

わずかな単語しか知らない状態で 
周りに外人しかいないレストランに
食事に行って コミュニケーションとれて
食事を楽しんで帰って来れますか?

「ポストコロナのレガシー」として、
給食中に子供たちが手話を覚えて
コミュニケーションをするという取り組みをしようというのだ

というなら その取り組みが
きちんと形に残るように もう少し
深く考えてほしいと思うのよね。

ポーズだけじゃ 意味ないから!

もちろん やりながらでいいとは思うけど

いきなり理想の高い話を すぐにでも
実現できそうな話にしてしまうのは
少し怖い気がしました。

どこかで もう指定感染症から外すから
コロナでは マスクが必要無くなって
もう手話には 取り組まなくていいよね…

なんてことにならないように
じっくり取り組んで 話だけに終わらせないで
もらえたら嬉しいと思う お話でしたニヤニヤ



 

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