こんにちは
chamama(のりこ)です
。

今日から グッと気温が上がるとか?
桜の開花が すすみそうですね。
昨日はchamaの歯科通院で 大学病院でした。
また しばらくマメに 通わなきゃ
。

週明けは あの事件の判決も あったし
モヤモヤを吹き飛ばせ!なんて
変なイベントの営業されて
押しつけられてる ヒマないわよ❗
そう…今日の話は
『津久井やまゆり園の事件の判決から思うこと』
あの事件は いろんな意味で
社会に投げかけたことが多いですが
私には 自分の影のように生涯つきまとう
生き方に もがき続け 考え続ける理由を
目の前に突きつけられた思いがしています。
判決は『死刑』でしたが
犯人が死んで終わりということではない。
犯人が言っていた この言葉は現実として
私も そんなことないと否定できません。
福祉系の現場の仕事は 労働環境も過酷で
常に人手不足なのに低賃金で 離職率も高いし…
虐待問題などの背景を考える時
そこに関わる職員の 個人的な
人間性の問題だけに とどまらないので
キレイごとだけではないのは事実。
れいわ新選組の 木村英子議員は
ご自分の体験から このように話しています。
それに対して どんなに声をだそうと
施設の中にいたら
利用者本人の思いは 外の人に届かない…。
そんなところから出て 地域生活をしようと
頑張ってこられた 木村議員
ホントに すごい人です。
詳しくは こちらを ご覧ください。
施設を全否定するつもりはありませんが
管理された中での生活だと
その しわ寄せが弱者に向かってしまうのは
仕方ないのかもしれませんが 私はそれがイヤで
自分の子供を将来 入所させたいと思えません。
以前 契約だけして
利用しなかったショートステイでは
オムツ外しなどの不潔行為のある人は
作業用つなぎを着て 手を出せないようにして
サラシでぐるぐる巻きにして 拘束するけど
それを了承しなければ 受け入れが難しいと…。
介護つなぎではダメなのかと 聞いてみたら
責任者が それすら知らなかった
。

身体拘束は当たり前で 当然のような感覚
。


私の頭に 真っ先に浮かんだのは
精神科などで使われることのある 『拘束服』
↑こういうイメージ…

こんな格好させることに同意して
chamaを預けたら 私の罪悪感ハンパないわ

でも そんな思いをしても そこのショートを
利用しないと 家族の休息が取れない人もいる…
家族まで 心を殺してショートに預けていたら
福祉サービスの利用が 家族にとって
いいことだと思えなくても 当然のことだわ。
家族や周りで関わる人までもが 心を失くして
見えない檻に入っている気分よ
。

つい2〜3年前に契約した 神奈川県内の
大きな法人の ショートの話だからね。
津久井やまゆり園は 入所施設だし
もっとヒドイ状態だったで あろうということは
私にも想像できるわ。
そんなの人間らしい生活には 程遠い❗
身体障害であっても 知的障害であっても
他の障害や病気があっても
難しいことがあれば 何か他のものを使うことで
生きていくことは可能だから
障害は不便なことがあるけど
不幸ではない
そう言ってた 母親の言葉は本当だと思う。
実際には 耳が聞こえなくて
健常者のようなスピードではなかったけど
コミュニケーションをとることは できていたし
小さい頃に病気で 左足は
ふくらはぎから下を 切断していたけど
義足を着ければ 歩いて移動していたから…。
障害があるからできない…ということは
あまりなかったと思う。
ただ不便なことを解消していくためには
使うものや関わる人など
環境によって 生きやすさは
とても変わってくる❗
口元が見えるように 話してもらえたら
読唇で ほぼ言っていることが分かるのに
見えない姿勢や格好だったり
書いて伝えようとしても それすら
見ようとせずに 面倒くさそうにされたら
そういった状態では 不便さは残るのよね
。

今のコロナ騒動では 町中がマスクの人だらけで
聴覚障害者の人は 本当に困ると思う…。
一方 こんな状況でも マスクを外さない代わりに
書いて説明してくれたり 一緒に行ってくれたり
きっと スマホやタブレットを使って
コミュニケーションを とろうとする人もいる

うちの母親は時々 体重の微妙な増減から
義足のソケットが合わなくて
マメが できていることがあったけど
そういう時に 私が
傷が治るまで 家で静かに休めば?と言っても
大丈夫よ〜お母さんはね
これ(義足)があれば どこへでも行けるから
家に じっとしているのは イヤなの

そう言って 傷に絆創膏を貼って
あたっても痛くないように ガーゼをあてて
自分の足で歩いて 笑って外に出てたな〜。
だけど末期ガンで 入院した時に
ベッドに外した義足を置いていたら
ジャマになるから 持って帰って❗
という びっくりナースがいて
あぁ〜お母さん 義足なくなっちゃったら
もう どこにも行けないね…
と 母親が言って
その時は 寂しそうな顔をしてたなぁ
。

もう起き上がって 歩けないかもしれないけど
ジャマというのは あんまりだわ。
すぐに師長さんに話したら 驚かれて
ベッドに戻したけど
この時も 同じ仕事をしている人なのに
関わる人によって こんなにも対応が変わるとは
私まで悲しくなったわ。
ホントに 関わる人や環境って大きい❗
うちの両親は 障害者雇用ではなく
一般就労で 普通に仕事をしていたし
家を建てて財産を残し
妹は中学から 私立に行っていても
大きな苦労なく 人並みな生活はしてこれた。
恵まれていて 努力したのだとは思うけど
きっと両親も そして私も妹も
すごく不幸だと思って 生きてきてはいない。
だって私達にとっては それが普通だったから。
親にしたら
障害のあることは事実だけど
生きるうえでの障害では なかったと思うの
障害って
社会の中に あるんだと思う❗
海外では ダウン症の人が結婚して
生まれた子供が 大学を出ていたり
知的障害がある人だって
心豊かに 幸せに生きてる人がいるんだから
知的障害者に限らず 誰であっても
それができる環境にあれば
日本でも できないことはないはず
。

だったら彼らも みんなと同じように
その人らしく 生きていけるんだよね。
それを難しくしてるのは
やっぱり人や 人が作り出す環境でしょ。
人の意識は もちろんのこと 法律や制度など
もっと変えていくことができたら
優生思考を支持する人も 考えが変わるかも…。
だから私は chamaと一緒に 外に出続けます。
この事件やコロナ騒動を通して もっと
何ができるかを考え 行動していきたいです。
できることから やっていこう
。

そして 加藤さんが建設中の
おでかけ療育協会についてはこちらから