僕に、なにが、できる?

"ヨガの先生"に、ヨガインストラクターを生業にしてきた立場から、研修などをする機会が増えてきた。
周りに背中を押されてヨガティーチャー向けのトレーニングを始めた時も、ヨガ講師養成講座を始めたときも、怖かった。
僕に、なにが、できる?
ヨガの先生になりたい人は、誰かに何かをしてあげたい、人が多いと信じる。
だからこそ、僕ら自身が潰れないように、先ず自分を大事にしよう、というのをコンセプトの一つとして講座やセミナーを構成してきた。
想いと経済性を分けること、したい事とできる事の違いを認識すること、したいと思っている自分は純粋な本当の自分なのか問いかけること、などをサーンキヤのニ元論における無知の概念を関連させながら話してもきた。
良くも悪くも、それもだんだんこなれてきた。

そんなおり、映画"ルンタ" を紹介するイベントでヨガクラスをする機会を頂いた。
今思えば軽すぎる気持ちで「ルンタをモチーフにしたクラスをつくる」と約束した。
僭越ながら公開前に映画をDVDで拝聴させていただいて… 映画の途中で部屋を出て空をみた。
無料で受けられるヨガスタジオを作りたいと思っていた頃を思い出した。
経済性と折り合いをつけようともがいた10数年を振り返った。
それは、この映画がテーマとする大きな枠からすれば小さなことかもしれないけれど、僕のリアルはそこと重なった。
映画の中で中原さんは「チベットの人を守りたい」と声を詰まらせた。
できるかできないかは脇に置いて、僕はヨガの先生を守りたい。
そうしてツールとしてのヨガが、もっと誰かに拡がれば、誰かが少しは楽になる、と今でも信じてる。
それはヨガを生業とする僕を守ることにも繋がってるから、中原さんとは次元は違うのだけれど、結局それが全てのような感覚は、共感できる気はした。
映画を観おえて難問と向き合う。
ルンタをモチーフにしたヨガクラスをつくるために、僕に、なにが、できる?
僕が経験した範囲のヨガに、なにが、できる?
"YOGA×ルンタ"イベントでの45分のヨガクラスは、ヨガスートラに出てくる5つのクレーシャ(煩悩)に触れ、映画ルンタをモチーフとしたポーズのシークエンスで身体を使い、慈悲の瞑想をした。
僕に、なにができたかは分からない。
でもあの時僕にできたのは、あの一つのクラスで、イベントの後に池谷監督と中原さんと一緒に飲んで笑いながら楽しく語り合えた時間があったのも、まぎれもない事実。
それはそれで、今がある。
僕にとっての実践は、今ここにいられるための実践で、僕にとっての離欲は、今が最高!と思えること。
その先に、生きとし生けるものが幸せになれるなにかが、たった一つでも残れば、それは最高にハッピーなことなんだと思う。
