【連載第5回】渋谷ヨガの8年 | chamaのヨガのブログ★ちゃまぐ

【連載第5回】渋谷ヨガの8年

「ヨガスタジオを作ろう」

って発想は、全くなかった。



「ヨガでメシは喰ってやろう」

とは思ってたし(ケンさんに出逢わなかったら、その発想も決して出なかっただろう)、そのための覚悟は十分にしてたけど、僕は二十代の前半を、レゲエクラブなど3軒の箱の経営をして過ごした経験があるから、「場所」、とくに自分が好きなことを扱っていたり、カルチャーを背負ってたりする「場所」の運営を続けることが、経営する人間、それをサポートする人間にどんだけ負担をかけるのかって事は、ずいぶん前に数年かけて経験済みだった。


だから、自分がハマった「ヨガの場所」の運営だけは、正直避けてた。


でも、クラスをはじめて、だんだんと生徒さんが増えて、次第に「コミュニティ」と呼びたくなる何かが産まれてきて。


まぁ1回1回販売用グッズを運ぶのも大変だったし、クラスの数も増えて、借りてたセンター街のレンタルスペースのいい時間帯を僕がだんだんジャックするようになっていって、月々のレンタルフィーもけっこうな額になっていった(27坪のスタジオで週7、8クラスで、月50万くらい払ってた)ってのもあったのも事実だけど、やっぱり

『ヨガはヨガの場所で』やりたくなってしまった。


ヨガを好きな人達が集まる場所を、つくりたくなってしまったんだ。

僕は10代後半の頃、80年代の中頃に、いわゆるクラブカルチャーにはじめて触れて、「いい音聴きながらラガーの小瓶をラッパ飲み」できるカッコいい店を、西麻布じゃなくて東京下町の地元でも成立させようとして、実家の一階をクラブにしてしまった。


そのあと、ロックステディとかダンスホールレゲエにハマってしまい、その店をレゲエクラブに変えて、自前のサウンドシステムを組んで「レゲエの箱」にした。



「レゲエの箱」が20年前の東京の下町で成立するのは、大変だった。僕は、そのとき僕の右腕だった選曲家のKちゃんを切ってまでして、最終的にその店を成立させて、借金を返して、その店を閉めた。


そんな想いは、二度としたくなかった。


でも、僕は結局「ヨガの場所」をつくりはじめた。


同じ人間のやることは、同じパターンに入るもんだな、と、そのときつくづく思った。


でも

「最初は誰でも失敗する。当たり前だ。でも同じ失敗を2回する奴は、バカだ。」


と親父に言われたことも、そのとき思い出した。




つづく

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