あの時の風景、あの時の音。 | chamaのヨガのブログ★ちゃまぐ

あの時の風景、あの時の音。

おととし他界した父親は、宮城県石巻の、渡波という港町の出身でした。親戚や、本家筋も、石巻で暮らします。

僕も、中学校に入るまでは、毎年夏休みのほとんどを、石巻で暮らしました。

漁師のまちだから、みんな気性が荒くて声も大きいけれど、家族や仲間を、強すぎるくらい、愛して、守る、やさしい人たちの町。

名産の、こぶりな牡蠣が自慢の種。牡蠣の話になると、お酒がはいってくると、だいたいみんなして、妙に広島をライバル視して「広島の牡蠣は大きいけど大味だ」とか言い始めて、子どもみたいに。

よく、気仙沼にウニを取りにいって、ほじって食べた。

小さかった僕には、牡蠣もウニも、美味しいのかどうかなんてわからなかったけれど、

「宮城の牡蠣が、一番うまい」

「気仙沼のウニは最高だ」

とみんなに言われ、そーなんだ、刷り込まれるしかなかった。


みんな、
自分の地元を愛して、
地元に誇りをもっていた。

あの、人たちの、声、顔。
あの、風景。


東京生まれで東京育ちの僕にとって
あの音と、あの風景は、
唯一の、ふるさとの原風景。


高野山の最後の夜の、奈良さんのライブが終わって。

奈良さんが奏でる、スピリット・キャッチャーっていう楽器を作ってる荒さんって方が、今回福島で被災されたと。

なかなか連絡とれなかったけど、時間がかかったけど、やっととれたと。よかった。けど荒さんの家は、流された。


荒さんは、整体のお仕事を生業としながら、奈良さんのスピリット・キャッチャーをつくってきた。

あるとき大きな病気になって、自然の音を聞くことでよくなって、荒さんは、福島の自然音の録音をはじめた。その場所も、地震と津波で、姿を消した。

高野山での奈良さんのライブでは、その荒さんが録音した「福島の自然の音」と、奈良さんの音楽を繋げたCDが、売上を義援金とするために販売された。



人は、忘れる。

社会もまた、少しずつ忘れていく。


石巻は、漁師町の根性と結束で、必ず復興するけれど、僕がみた、あの石巻の風景に、また戻るわけじゃない。


でも、なくなった、場所や、人を、
僕たちは、いつまでも語れる。

明日に、明日の人に繋げるためにも、
僕たちは、いつまでも語れる。