皆さんは、普段友人や同僚、先輩・後輩と建設的な議論をする機会がありますか?

ここでいう議論とは、感情的な言い争いではなく、お互いの意見をぶつけ合って最適解を探す対話のことです。


正直、日本人はこの「議論」が苦手な傾向があると思います。

サラリーマン時代、私は予算会議でその現実を何度も目の当たりにしました。


多くの課長が当たり障りのない発表をして、その場を無難にやり過ごす中、私は企業としての方向性を見据え、不安要素について質問を投げかけていました。

目的はもちろん批判ではなく、「この点、ウチの部署でカバーできますよ」と支援の姿勢を示すためのものでした。


ところがその質問に対し、感情的な返しをされることが増え、やがて「厄介な存在」と見なされるようになっていきました。


結果的にどうなったかというと――

私自身が予算会議に出られなくなったんです。


実は、当時の常務が水面下で根回しをしていたことを、後に味方だった本部長から聞かされました。

「言ってることは正しい。でも、あの人たちは君を煙たがってる」と。


・・・正直、笑ってしまいました。

本気で企業の未来を考えていた私が、議論しただけで出禁になるなんて。


でも、ここで言いたいのは私の愚痴ではありません。

問題は、日本の企業文化における“議論拒否”の風潮です。


海外の大学などでは、授業でのディベートが当たり前。

そこでは、感情を交えず、意見をぶつけ合いながら最良の解を探していきます。


日本ではまだまだ「異論=敵意」「質問=批判」と捉えられがち。

でも本来、意見と人格は別ですよね?


これはトレーニング次第で変えられます。

相手をリスペクトしながら議論できるようになれば、組織の質も格段に上がります。


もし今、議論がタブーになっている職場があるなら、それは成長の機会を自ら放棄しているのと同じです。


日本企業がもう一段階レベルアップするためには、「意見を出す人を排除する体質」からの脱却が必要だと思っています。


本日もお読みいただき、ありがとうございました。