最近もまた芸能人の不倫報道が世間を賑わせていますね。
そして、その波は政治家にも容赦なく押し寄せ、週刊誌に取り上げられれば即謝罪会見──。
深々と頭を下げ、「国民の皆様にご迷惑をおかけしました」とコメントする姿を何度も目にしてきました。
でも、正直なところ、私はこう思うんです。
「それ、政治と関係あります?」
不倫が道義的に良くないということには私も異論はありません。
私自身、そんなことは絶対にしません。
でも、それって“個人の私生活”の問題であって、政治家としての仕事の評価軸と混同すべきではないと思うんです。
芸能人の場合はイメージが商売道具。
だからCM降板やイメージダウンは避けられない。
でも、政治家は“国を動かす仕事”をしているわけで、評価すべきはその政策と実行力のはずです。
■政治家に求めるのは「まじめさ」より「未来への設計図」
もちろん、誠実でまじめであることは好ましいです。
でも、人間誰しも完璧ではありません。
四六時中、聖人君子であれと言われ続けていたら、むしろ精神を壊してしまいます。
そんな状態で、本当にいい政治ができるのでしょうか?
求めるべきは、失言や不倫の謝罪ではなく、
「この国を10年後、100年後にどうしたいのか」
「どんな仕組みをつくり、どんな未来を描いているのか」
こういったビジョンです。
■金の使い方まで“清廉潔白”を求めすぎていないか?
最近は「政治資金の使い道」にも厳しい目が向けられていますよね。
確かに、税金や政治資金を私的に流用するのは論外です。
でも、「全部を公開しろ」「1円単位で記録しろ」なんてやりすぎてしまえば、政治家は萎縮するだけです。
私たち国民は、「清廉潔白でいてほしい」という幻想を押し付けすぎていないでしょうか?
たとえば、年間いくらまでなら自由に使ってよいという上限を設けて、その範囲内では政策判断に任せる──。
そんな運用の方が、よほど現実的で建設的だと私は思います。
■大切なのは「人間性」よりも「実績と未来」
国民の目を引くスキャンダルが話題になればなるほど、本当に大切な政策論議がかき消されていきます。
何をしてきたか?
何をしようとしているか?
どんな社会を目指すのか?
そういった**「本質的な政治家の仕事」**にもっと目を向けませんか?
政治家の私生活を叩くよりも、政治の未来を議論する方が、よほど建設的だと思いませんか?
🌱まとめ
政治家の不倫を報道するのも、政治資金の使い道を問うのも、ある程度は必要です。
でも、**「それがすべて」**になってしまっては、本末転倒です。
大事なのは、聖人君子のフリをすることではなく、現実の中で結果を出し、未来を語ること。
今こそ、私たちも政治家の「見方」を変えるタイミングなのではないでしょうか?