最近、誹謗中傷について改めて考える機会がありました。以前は、「日本は特に酷いのでは?」という印象を持っていました。日本人は意見を表に出すことが少ないため、匿名性の高い場でアバターを使い、自分とは違うキャラクターになりきることで、攻撃的な発言をしてしまう傾向が強いのだろうと考えていました。

 

しかし、最近また海外メディアを読んでみると、実はアメリカやヨーロッパでも状況はあまり変わらず、誹謗中傷が大きな問題になっているようです。結局、これは世界的な課題であり、日本だけの話ではないのかもしれません。

興味深いのは、誹謗中傷をする人たち自身が、自分の行為を「誹謗中傷」だと認識していないケースが多いということです。彼らは、自分の正義感に基づいて「相手を教育したい」「間違いを正したい」という思いが強く、批判を通じて相手の改心を促しているつもりでいるようです。おそらくその裏には、自分の存在を認めてもらいたいという自己承認欲求が隠れているのでしょう。

 

「自分の正しさをアピールすることで共感を得て、さらには周囲から注目されたい」という心理が働き、それがエスカレートして過激な発言を繰り返してしまう。これは、いじめっ子が「自分はいじめなんてしていない」と思い込み、数年後には何事もなかったかのように、いじめられた人に普通に接するのと似た構図なのかもしれません。

誹謗中傷を減らすためにできること

誹謗中傷を完全になくすのは難しいですが、時間をかけて教育の場で対策を進めることが大切だと感じます。「誹謗中傷は良くない」とネット上で訴えたところで、その投稿自体が新たな誹謗中傷の対象になることも考えられます。重要なのは、自分以外の他者が「自分とは違う存在」であることを理解することです。家族であっても、友人であっても、他者はそれぞれ異なる価値観や正義を持っています。

これを理解するためには、多様性をしっかりと教育に取り込むことが必要です。また、ディベートのような場を通じて、感情を交えずに冷静に反対意見を述べる訓練も効果的でしょう。意見に対して反論することは、相手そのものを否定することではありません。こうした練習を通じて、他者の考えに対して冷静に対応する力を育むことが、誹謗中傷を減らす一歩になると思います。

日本の多様性と独自の文化

最近、アメリカでは多様性に関する企業の対応が大きく変わり、それが議論を呼んでいます。こうした動きは注視すべきですが、日本は海外に引っ張られすぎることなく、独自の軸を持って多様性を文化に取り入れていくべきだと感じます。さまざまな人や文化、考え方があり、それぞれに「好き」「嫌い」の感情があっても、感情ではなく事実に基づいた議論ができる社会を目指すべきです。それこそが、日本の成長の鍵ではないでしょうか。

最後に

なんだか今回は少し大きなテーマになってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。また次回、お会いしましょう!