宮島大聖院の入口から左手に行くと

弥山に登る登山道があります。

 

頂上までは1時間〜1時間半

川も流れていて

季節によって変わる自然の色が

弥山に登る人、降りてこられた人を癒してくれる場所です。

その登山道の大聖院にほど近くに

「懺悔地蔵堂」

があります。

 

宮島の観光案内で

大聖院にお連れするときには

ここを訪れるのですが

 

ただ

ほとんどの方は

「懺悔することはありません!」と言われます。

 

そりゃそうです

人は皆正しく生きようとしています。

中にはあえて悪さする人もいますけど

そんな人は悪いことをしたなんて思っていませんから。

 

自覚はない

 

懺悔って

本当はしたくないのにやってしまった事

後悔する出来事

誰かに謝らなければならないことなど

 

「自覚がある人がすること」

 

だとこれまでは思っていました。

でもね、この懺悔地蔵堂に書かれているのは以下の説教文


『 貧しの心、怒りの心、愚痴の心、この三つの煩悩によって、肉体と言葉と心の上につくさまざまの悪業の一切を包み隠すことなく懺悔いたします。
 一切を懺悔することは、信仰の第一歩でありさまざまの罪障を消滅する功徳であります。ここに懺悔し今後ひたすら善業を行うことをお誓いください。』

 

要するに

自覚がなくても懺悔をすることはありませんか?

と問うている・・・

 

しかも悪いことをしたわけではないけど

貧しの心、怒りの心、愚痴の心って・・・

何気なくイラっとくるときに起こっていませんか?

 

人は知らず識らずのうちに

言葉を発していたり

行動していたり

思考していたりします。

 

それがプラスに働けば良いですが

疲れているとき(憑かれているとき)は

正常な判断ができなくなってしまいます。

 

もしかしたら

無意識のうちに誰かを傷つけてるかもしれない

 

ネットの中によくある

「解釈の違いによって勘違いされ攻撃された」

とかもその一つ・・・かも。

 

それを全て洗いざらい出してください

というのは無理かもしれませんが

心構えとして・・・

 

無意識にしてしまったことへの懺悔

それを常に心に留め置く

 

神様の前に立つとき

心を清め体を清め

一体となって祈りを捧げます。

 

参道で玉砂利の音に浄化され心が静まり

手水舎で禊をし

柏手を打ち場を清める

 

弥山に登り厳島神社の奥宮

御山神社にお参りする人々は

この懺悔地蔵堂で

 

まずは無意識にやっていたことを懺悔し

心を清めたのでしょうね。

 

現代は目に見えないことが

認知されづらくなっています。

 

でも、だからこそ

一人一人の意識を変えれば

場が整い、地球が変わるのかな

なんて思うのでした。