昨年、私は人生を少し巻き戻したような感覚になった。
3年間の海外生活を終え、日本での再スタート。
家族は3拠点に分かれ、久しぶりの仕事はパートから。
そして年末、私は“レベル50”になった。
50歳。
若くはない。でも、終わりでもない。
新しい生活は楽しい。職場にも恵まれている。
それでも、夜ふとした瞬間に胸の奥がざわつく。
この生活は、長くは続かないかもしれない。
私の雇用は有期だ。最長5年。55歳で、また職探しをする。
履歴書に並ぶ数字を見て、採用側は何を思うだろう。
「経験」よりも先に「年齢」が目に入るのではないか。そんな想像をしてしまう。
もう一つの理由は、子どもだ。
私の子どもは、大人になっても継続的な支援が必要だ。送迎、付き添い、急な呼び出し。私の生活には「子育ての終わり」がない。
育児支援制度はある。
けれどそれは、いつか手が離れることを前提にしている。終わりの見えないケアは、制度の想定から少しずれている。
現に私は、病気の際の看護休暇を使うことができない。子どもの年齢が制度の対象外だからだ。
一般的な中学生や高校生なら留守番ができるかもしれない。けれど、私の子どもは一人で過ごすことが難しい。制度の線引きは明確でも、現実はその線の外にある。
また、ある日、同僚が「子どもの発達のことで病院に行きたい」と打ち明けてくれた。制度上は問題なく休める。それでも彼女は続けた。
「評価に影響しませんか」。
その一言に、胸が痛んだ。
制度があっても、空気がある。
別の同僚は、親の介護を抱えている。彼は「迷惑をかけている」と何度も言う。誰も責めていない。それでも、自分を小さくしてしまう。
「多様性」という言葉は増えた。けれど、
安心はどれだけ増えただろう。
私は思う。
自由に働きたい、と。
けれど、年齢や終わらないケアまで含めた働き方の再設計は、まだ十分間に合うだろうか?
私は思う。
自由に働きたい、と。
それは、楽をしたいという意味ではない。
突発的な出来事があっても働き続けられる裁量が欲しい。長時間そこにいることではなく、出した価値で評価されたい。
方法を探していたときに出会ったのが
「PRESIDENT Diversity」という学びの場だった。
正直に言えば、私にとっては安い金額ではない。それでも申し込んだのは、「もう年だから」と自分に言い訳をしたくなかったからだ。
50歳からの挑戦は遅いのだろうか。
安定の延長線で不安を抱え続けるほうが、よほど怖い。
変わらなくてもいい。
でも、変わりたい。
この感情は、私だけのものだろうか。
終わらないケアを抱えながら働く人。
年齢を理由に選択肢が狭まったと感じている人。
制度はあるのに、なぜか息苦しいと感じている人。
多様性とは、違いを認めることだけではない。
人生の条件が変わり続けることを前提に、働き方を設計し直すことではないだろうか。
レベル50の私は、今その問いの中にいる。
その答えを見つけに新たなチャレンジを始める。