2011年3月11日14:46。横浜北部内陸地帯。
鉄筋ワンルームマンション2階中央部の一室にて。
昼食後、午後の作業中。
「あれ?地震?」という声に、すこし感覚を澄まして、様子をうかがう。
最初は、注意しないとわからないくらい、小さな揺れだった。
関東地方南部の人間は、震度4くらいまでの地震に、ある意味慣れてる。
だいたい地震の開始⇒本番⇒終息のパターンをカラダで知ってて、
揺れが終わると、「今の震度○くらい」とか、
「遠い」「近い」とか「浅い」「深い」なんてな事を話を始める。
最初は小さかった揺れ。
少し大きくなってきて、いつも通り、震度3かな…いや震度4か?
5までだったら、耐えられる(たぶん)。
震源は…遠いみたい…
なんてな事を考えながら、揺れが収まるのを待っていた。
が。
しかし、おかしい。揺れのパターンが、いつもと違う。
違う、というか、揺れが長い。長い…長い。長すぎる。
「やだ。この地震、普通じゃない!!」
収まるはずのタイミングで収まらない。
この後、更に大きくなるのか、全く判断がつかない。
これ以上、大きくなったら持たないかも…
高まる緊張。
壁の多い鉄筋のワンルームマンションの2階にいて、
この揺れ方は一体なんだ?!
窓から外を見て街の様子を確認する。
見た限り、建物が崩れるなど、被害の出ている様子はない。
目の前の家の、お庭の梅の固い幹が、大きく弾けて震えていた。
震源はどこだ…
関東の人口密集地に近かった場合、この揺れでは、ただでは済むまい。
ここより南の方角なら、古い木造家屋の自宅は…猫は?
ああ。これはマズイなぁ…
シマッタ。ヤラレタ。
油断してるつもりはなかったけれど、やっぱり油断していたなぁ。
何かを天にあずけて、腹を括った。
深呼吸して、TVを点ける。
窓と、玄関を開け、靴を持ってきて避難に備える。
その間もゆらゆらと、振幅の大きい横揺れが続いていた。
それとも、あまりの揺れの長さに、平衡感覚がおかしくなったか。
歩きながら、ふいに首を真上に向けた時のような、
ふわり、とした、めまいに似た感覚が、その後も丸一日以上収まらなかった。
船酔いしそう。
長い長い長い揺れ…
このまま止まらず、地球全体が揺れっ放しになってしまうのではないか?!
そんな、奇妙な事を想像させるほど、異様な何かを秘めた揺れだった。
あの不気味さを、なんと云ったら良いんだろう…
その時、ワタシは確かに、この奇妙な揺れの向こうに、
何か、とてつもないモノが隠れているような。そんなイメージを感じてた。
それが、あの津波とは、まったく想像もしなかったけど。
せいぜい子供の頃見たウルトラマンの地底怪獣みたいなイメージだった(-_-;)
たぶん、連鎖的に崩壊する地盤を感じてた。
その後のニュースによると、結局数分間も揺れていたのか。
NHKは、三陸沖の海上が震源だったと伝えていた。
それを聞いて、迂闊にも、
人口密集地を外していて、しかも直下ではない、少し離れた海上が震源なら、
そうそうオオゴトにはならないだろうと、その時は思った。
携帯電話に飛びつき、自宅に電話をかけてみるが、発信出来ない。
固定電話を使ってみたら、なんと、通じた!
自宅では、棚から物も落ちることなく、無事とのこと。
あらためてTVを見ると、震源近くの東北地方も、
やはり、町は一見、建物の被害もないようで、おおむね無事みたい。
ゆるやかな横揺れは、建物に大きな負荷を掛けないのかな。
ちょうど、仕事絡みのチャットの最中だったので、
「地震につき、また後日連絡します」と打ちこみ、チャットを閉じる。
横浜北部。
インターネット、電気、どれも使える。OK。OK。
外の様子を知りたくて、東北地方の猫ブログさん、
都内以北、千葉、横浜市内のブロ友さんのブログを次々開く。
みんな無事かな?!怪我してないかな?!
続く余震。
TVは、街の様子を次々ヘリと定点カメラで写していた。
気仙沼の漁港。海辺の道を走る車。
お台場のビルの屋上の火事。仙台市内のマンションの火事。
都内九段の怪我人と救急車。
たぶん、地震から30分くらいは経っていたんじゃないかしら。
津波の「上げ」第1波が、気仙沼の、さっき車が走っていた道の横の堤防に迫る。
水面があと30cmも上がったら、堤防越えるね~。
危なかったね~。
なんてのんきに話をしてたら、その直後…越えた。
見る見るうちに、街に溢れる大量の水。
建物と建物の間を流れ、合流した場所で、高く水煙が上がる。
手前のバイパスの上に数人の人と車。
そこまでは、水は行かないように願いつつ、
ついさっき、下の道を走ってた車も、高台に辿り着いた事を願いつつ、
街だった場所が水で満たされ、海水面が平らになるのを、
唖然として、見入っていた。
生中継だった…
その時は、地震から津波まで、かなりの時間が経っていたので、
人は皆、高台か高い建物に逃げていると信じていた。
港や家にいただろう動物たちは、どうしただろう…
カラスとカモメが、波の上を飛び交っていた。
圧倒的な自然の力を目の当たりにして、気付くと、ただただ手を合わせてた。
小一時間後。周辺の状況を把握出来たので、仕事に戻る。
電車も止まっているだろうし、今の私には、他に出来る事は何も無い。
待つしかない。
とにかく、ワタシは、無事なのだ。
ありがたい事に、何ひとつ問題ないのだ。
6時ごろ、駅前に行くと、電車はまだ不通。
振り替え輸送のバスは、パンパンで弾けそうな程超満員(@_@;)
ドア閉まらないので発車出来ない。
スーパーやコンビニのおにぎりの棚は空。
今夜と明日朝の分のお弁当と、2リットルのお茶買って、
仕事を続けつつ、電車の復旧を待つ。
この頃になると、昼間送ったメールが、タイムラグもあるものの、
少しずつ届き始める。
Twitterが有効と聞いたが、アカウント持ってないし。
とりあえず、県内の親戚兄弟の無事を確認出来たので、OKって事で。
結局その日、電車は、復旧ならず。
安全確認のためか、都内が止まってると、乗り入れ電車の都合がつかないのか、
それとも作戦会議してるのか。
横浜まで出れば、自宅まで歩くのは可能だが、
無理せず、そのまま事務所に泊めていただく事に。
なんという、厚待遇の帰宅難民。毛布にくるまれ、ぬくぬくしてた。
眠れないので、インターネット。
記事UPされてる人の確認して、ホッとする。
自分のPWやっと思い出して、記事を書き、ちょっとウトウトして、朝を迎える。
朝の光の中、徐々に明らかになる被害状況の凄まじさに言葉を失う。
原発が危ない。
電車動いて無かったら、歩く気満々だったんだけど、
幸い電車は、動いていた。
なんのかんのといっても、神奈川県は直接の被災地の外なのです。
落ちついた行動を心がけ、
私がいた場所から自宅までの距離は、たぶん40~50km。
歩けない距離じゃないけど、3時半の時点で、歩き始めたら、帰宅は深夜。
その日は、無理をしない事にしたのです。