Rスズキさんの「いくつかの場面」へ勝手にトラックバック | G

G

Julie♡.

久々に「勝手にトラバ」させていただく。

 

Rスズキさま、この本を私は絶対に買わないので、ブログでのコメに参加は遠慮させていただき、気になった部分へのワンポイントトラバになります。

ブログがら抜粋させていただくと

 

「いくつかの場面」は「河島英五がさきに歌っていたものを沢田が気に入ってアルバムに収録したもの」と記述がありますが、そうでしたか?私はてっきりジュリーのために書き下ろしたのだとばかり思ってました。そのあと河島さんもセルフカバーをしたものではなかったかと。

 

 

この部分だけね

 

ではスタート。

 

Rスズキさんのおっしゃる通りなり!

私もそう聞いた覚えがあるよ。

裏付けできるような資料がないので、検索に走りたいと思う。

 

検証始め!!

 

まずは中川右介氏

お生まれはなんと1960年・・とな。

いくつかの場面が発売された1975年にはまだ15歳。

そりゃぁ無理だわなぁ。。。。

・・と少しは譲るとして・・・って言いたいけれど、

これは大きなミステイクでございます。

もう少しちゃんと調べて欲しかったですよね。

ネット内の検索だけでもわかることなんだから。

はっきり言いますがJulieはカバー曲でニューアルバムのレコーデイングするなんてあり得ませんから。

勝手にJulieをカバーして出しちゃってる人いますけどね。

 

こういうのが「お怒りどころ」なのでしょうね。

島崎今日子さんの本はどうなのでしょうか。読んでおりませんが、このような間違いがあるのでしょうね。

「いらんことひらひらつけやがって・・・」の中にはそんなこんなん・・たっぷり入っていると思われます。

ファンであるってだけなのに、この一条だけでこれだけ時間を潰せるほどだもの、ご本人にしたらイライラどころではないのは当たり前かと、想像してやみません。。

 

さて、では。

Julieのアルバム「いくつかの場面」の発売は1975/12/21。

かたや河島英伍さんのレコード化されたもので日付づきで一番古いものは1979年3月25日発売のシングル「てんびんばかり」のサイドBに納められていた。

川島氏のレコードデビューは1973年のようですが自主制作や複数の移籍もされていて、アルバムとしてはオリジナルアルバム第5集の『河島英五作品集(1979年:L-10146E)』に納められてはいるが1979年としか記述がなく月日まではわかりません。

いくつかの場面の川島英五さんによるレコード化は、いずれも記録としてのセルフカバーではないかという感じがしてならない。

そんな思いを胸にあれこれネット内を彷徨ってみると「提供曲一覧」にもあったので、そうみて良いだろうと思う。


 

つづく検索から「河島英五さんによる提供曲一覧」の中に見つけた。(スクショ)

こういうことが出てくると、記憶とはいかに曖昧なものかしみじみする。

当時ラジオでこのアルバムの経緯を聞いた覚えはある、が、はっきりと言い切れるほど鮮明には覚えてないのだよね。嘆かわしや。。

 

まぁでもあちこち検索に走って河島英五さんに提供していただいた曲だということがはっきりした。

 

Julieはラジオの「ジュリー三昧」の時に、この曲たちについてどんなエピソードを語られていただろう・・・、。

ほれ、それももう定かではない。。。(苦笑い))

 

検索あれこれ

 

(マコリンさんのレビューから抜粋させていただくと)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

ブレイク以前の大瀧詠一、ゴダイゴのミッキー吉野、さらに加藤登紀子、河島英五、西岡恭蔵などいつもと毛色の違うアーティストが楽曲提供。石川浩二なる者のプロデュースであるが、彼のプロデュースする作品―――「思いきり気障な人生」「Love 愛とは不幸を恐れないこと」など、はどれもどこか暗い。 作品全体から演歌・フォーク的なドメスティクな泥臭さが漂う。聴いていると当時のATGの映画を見ているような気になる。70年代の重ったるい閉塞的な雰囲気を味わうにはいい作品かもしれないが……

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

こんなブログさんにも出会った。

 

 

 

こちらは下記のリンクの他にもJulieネタをたくさん書いておられます、必見!!

 

 

 

その他、参考にさせていただいたサイトさん

 

さあて、

リンク先をゆっくりと拝読させていただくといたしましょう。。

 

 

追記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ついでの追記として思い出したことをメモメモ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

そういえば、この頃「時の過ぎゆくままに」はコンペ形式とでもいうのか、複数のオファーをして選んだ・・というエピソードがあったことを思い出した。

「時の過ぎゆくままに」ができるまでのエピソード

 

当時、TBSテレビの演出家であった久世光彦が阿久悠に沢田主演のテレビドラマの企画の相談を持ちかけ、劇中歌の作詞を依頼した 。阿久の詞に対し 大野克夫 、井上堯之 、井上大輔 、加瀬邦彦 、荒木一郎 、都倉俊一 の6人に曲を競わせた結果、久世の判断で大野の曲が選ばれた[3]。阿久は渡辺プロダクション(沢田の当時の所属事務所)から歌詞にある「堕ちてゆくのも…」という言葉を変えるように要請されたが固辞した

                                        -------------(by wiki)

この時の加瀬さんの曲「燃え尽きた二人」は「時過ぎコンペ」への参加曲だったという話は確かに聞いたことがあります。

割と最近ですよ、この話がJulieからされたのは。。。

いつだったのかは定かではないが💦

 

 

ふふふん♪・・見えてきましたね「アルバムいくつかの場面」のコンセプトが。そう、きっと複数の作家陣にオファーをして集めたアルバムを作ろうということだったんでしょう。

 

                                   (by rukoさん)

確かに作家陣が錚々たる面々のアルバムに仕上がっていて、いつもの形式ではない。

アルバムのプロデューサーは大野さんですが、アイデア・コンセプトなど加瀬さんが関わっている」可能性は大いにありますね。

 

はてさて・・・

・・・・・ここら辺でネタ切れ

・・・・脳内ポイズンが出始めて

・・・そんなに急がなくてもいいじゃないですか〜

・・と始まった・・・

 

 

 

こうして、薄れていく記憶を取り戻すのが、老後の楽しみになっていくのだろうね。。。

 

ありがとうね、Rスズキさん!