ずっと前から感じていたことですが、
お片付けって後回しにされがちなんですよね。
なぜなら、後回しにしても生きていけるから。
経済的に苦しくなるのが目に見えてるから食事を作るし
食器を洗わなければ、使える食器がなくなるし
洗濯をしなければ、着るものはなくなるし
お風呂入らなかったら臭いが気になるし
たまにはお風呂掃除しなければカビだらけになるし
でも片付けって、それらに比べて切羽詰まる理由がない。
片付いていなくたって経済的に苦しくならないし、
片付けなくても使えるモノが使えなくなるわけはないし、
片付いていないからってニオイを発することもないし、そのモノ自体はカビのように増殖しない。
探しモノを毎日する、ちょっと不便。
人を招けない、ちょっと自分が残念。
その程度。
お片付けが心理学と紐付けられることが多いですが、
いろいろな人の片付けへの姿勢を見てきた私としては心理学ほど深刻ではない人の方が圧倒的多数なのでは、と思ってきました。
生活に追われ
時間に追われ
余裕ができたら、やろう。
多くの人はそうなのです。
「今は」時間がない。
「今は」体力がない。
「今は」気力がない。
ただそれだけ。
それをインナーチャイルドがとか心理学の話にされると納得はいかない。片付けに対してそんな大層なものを抱えていない、と感じる人の方が多いでしょう。
※
誤解なきよう申し上げますが、
これは「片付けの悩み」にのみフォーカスをしています。インナーチャイルドは誰にでもいる(ある?)し、心の傷は誰もが持っています。
ただ、「片付けられない=インナーチャイルド・心の傷」ではない場合が多いというのが、私の認識です。
私で言えば、たぶん人付き合いですね。
独特すぎたのか思春期にはそれなりに悩みもトラブルもありました。
ですが、それらのおかげで今は人間関係はどこに行っても(どれだけアクの強い集まりでも)平穏に過ごせます。
コミュ障ではないと思うけれど、心のベクトルをあえて向けようとしなければ、誰かと連絡を取ることも会うことも意識の外。
私の円グラフのマイワールドが大きすぎるんじゃないかと分析してますけど。
人付き合いがなくても私は生きていけます。
でも、人との付き合いが彩りやスパイスになることもちゃんと知っています。
だから、たまにあえて心のベクトルを向けて友人に連絡します。できれば会ってお茶を飲んだりおしゃべりに花を咲かせます。
その時間がなくても私は生きていけることに心や時間を使うから、
私は割と私の生き方を気に入ってると言えるような気がします。
いろいろな人のお片付けも、そういう人生の彩りスパイスになればいいなと最近は思っています。
やらなくても生きていけるけれど
やるからこそ、楽しいし満足。私の人生割と悪くないんじゃない?そう思えたら、お片付けもちょっとがんばれたりするんじゃないかな。
そんなお片付けを伝えていけるように、また新たに勉強中です。
では♡