毎日恐ろしいほど暑いですね。

夏休みが来ました。
そして子どもは意味のわからない要望を伝えてくる。
「お母さん、バッタのエサ買いに行こう」

・・・バッタのエサ?え?そもそもバッタって何食べるの?


大きくなればなったで、付き合うことも多い。


お久しぶりです。
あかみねです。


どんなに暑くても朝から洗濯して朝ごはんを用意しなければいけないし、お昼が来ればお昼ごはん、買い物は必要だし夜ごはんも当然。
細々した用事や家事も日々湧いて出てくる。

ふと1時間くらい空いたから休もうと思えば
スマホ片手に動画見ちゃって、あっという間に過ぎるだけ。

本当に疲れきってる時は、その怠惰さに心満たされるんですけどね。
ひと休みしよーぐらいの気持ちの時は、無駄してしまったって思わなくもない。


そんな時にとあるメルマガで同じような事を書いている方がいました。


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お休み期間中なので
毎週 1時間、立ち止まって自分をしっかり見つめる習慣がなくなっているのだけ

いやあ・・・スマホ時間が増えるね!!!
1人でいるのに ネットを通じて常に誰かとつながってる。
自分の内面ではなく 人の気持ちや行動に意識を持っていかれる。

自分が怒っていることや、傷ついていること
喜んでいることや ウキウキしていることも、意識が向きずらいので
いろんな感情が流れて行く。・・初めから なかったことになる。

(中略)

これ、「受動的攻撃性」という名前がついています。
本人が感 じているイライラや不満を直接相手にぶつけることはせず、
間接的な態度や行動で相手を 攻撃する心の状態のこと。
そっけない返事や無視をしたり、 (無意識ではあるけれど)わざとサボって間接的に罰を与えたり、
相手の目の前でため息をついたり、正論を吐いて相手の罪悪感を引き出したり。

これね、ほんとうは怒っているのに 空気を読んで怒りを当たり前に抑え込んでしまったり
自信が無くなってて「私は何もできていないのだから、傷つく資格はない」と傷を否定したり
うれしいのに「ここで調子に乗って浮かれたら転がり落ちるぞ」と気を引き締めたり

そうやって 自分の喜怒哀楽を自分に許さないことで引き起こされやすくなります。

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「なるほど!」でした。

SNSから離れた理由はコレですものね。
「自分という人間が分からなくなる」

こういう事を書くと、
「そもそも自分ってなんなの?そんなのみんな分からないんだから気にすんな」っていう声も自分の中のどこかから聞こえて来ますが。


喜怒哀楽や感情を自分自身が感じないのは、
大袈裟に言うと生きてる意味がないんです。私にとっては。


そして、お片付けはそのためのツールなのだと改めて思いました。

お片付けは自分と繋がる瞬間、自分との対話、いまの自分を見つめる時間、
つまり自分とのコミュニケーションなのだと。


不安や焦りがある時は、部屋の状態に完全に現れますね。
実際に見えなくなる。汚れていくのです。

ネット・SNSが生活の一部になってる現代、お片付けに苦手意識が強くなるのも当然かもしれませんね。

常に他人と繋がり、そこに安心感を得ていると
自分と繋がり自分を見つめる時間は逆に怖い。

本当は、自分と繋がることで安心感を得られるのですけど。

ただ、そこに辿り着くまで七転八倒なのも、わかります。


自分の感情や喜怒哀楽を感じられない
だから他人に受動的攻撃性をしてしまう方にも

お片付け、おすすめです♡