赤嶺知矢子です。




いま、ファーストラヴという本を読んでいて


生まれてはじめての記憶、という文章があって




なんとなく私も思い出せる気がして、思い出してみました。



小さい頃に住んでたマンションで


ふと目が覚めたら、母がいなくて。



妹も一緒だったから、起こして

玄関でふたりでワーワー泣いてたら、


姉を迎えに行った母が帰ってきて


あちゃーーーーーという顔をしてた。




そんな記憶。

姉の幼稚園のお迎えだったみたいで、妹も居たから、3歳かな。



実は記憶を辿るのは何回もチャレンジしていて


だけど

いろいろ思い出そうとしても、出てくるのは写真の自分で

小学校以降の記憶しかないって思ってたけど。




ちゃんと記憶があった笑



ずーーっとニコニコ笑ってる子で
あまりにも無邪気に生きてたっぽいから

(びっくりするぐらい本当にずっと笑ってた、って実家の大量のビデオをDVDに編集させられた夫が言ってた笑笑)

何も記憶できなかったのかと思ってた笑笑





***




忘れていても、思い出すこともあって

やっぱりそれは

人それぞれのタイミングで。



私は、いま、だった。

最近の出会いが引き金だったみたいです。




忘れるなっていうのも、

思い出せっていうのも、


タイミングが合わなければ無理な話で。




モノも、


カタチとしてなくなっても

思い出としてあれば

ある、のと同じ。


そこにあったとしても

記憶になければ(認識してなければ)

ない、のと同じ。



そんな風に思ったりします。





例えば。


写真を撮るのが、思い出として残すためなら。



写真のように思い出せれば


写真を撮る必要もなくて


カメラを構えたりビデオを撮るより


レンズ越しじゃなくて


自分の目で見る、


という選択でいい。




忘れたくない!という執着よりも

どう見るか。どの目、で見るか。




忘れる事もあるでしょう。

覚えてる事もあるでしょう。

ふと、思い出す事もあるでしょう。

永遠に思い出さない事もあるでしょう。



でも、全部を覚えているのは無理だから。

全部を振り返るのも、無理だから。



それが当たり前なのだから、

執着せずに軽やかに


ふわーーーっと生きていきたいですね♡





(生きてるうちに思い出さなくても、

三途の川を渡った先に記憶を振り返る動画を見るらしいので←最近仕入れたあの世のお話

そこで見れるかも?

そんな風に思ってみても楽しいですね♡)