今日の投稿は、いつもの投稿とは趣が違います。
ザワっとした人は、すぐ回れ右。そっと画面を閉じてくださいね。
私の人生観というほどでもないけど、
常に私の中にあったけど、口にも言葉にもしたことのない話をします。
いろいろ繋がることがあって
いまがタイミングかな、と思っただけです。
*
どこに何があって、
そこに無ければ他のどこにもない、
家族が何かを探す時間のほとんどいらない家。
私が作っているのは、そういう家で
実際そういう状態に近いと思う。
何故、そんな家を作るのか?
その理由は
私の中にずっとある、特別だけど当たり前、にある思いから。
それは『死』。
文字にすると怖いですね。
でも、私にとってはそこまで怖いものではないというか。
不思議と、いつの頃からか
『死』は普通に私の中にあるものでした。
明日、
あるいは
次の瞬間、
自分が生きているとは限らない。
そう自然に、私のすぐそばに当たり前にありました。
私は死にたいという願望はないし
死にたい、と思ったこともありません。
消えてなくなりたい、はあるけれど、それは一時の感情の話。
だから私は
いつも、
『私がいつ居なくなっても誰も困らない家』
を裏の、秘密の、コンセプトで作ってきました。
表は、いつ誰がどこを開けても大丈夫な家♡
両方とも本当。
でも、気持ち的には裏の方が強いかも。
何度も言いますが、死にたい訳じゃないです。
ネガティブなものとして捉えないでね。
ただ、
次の瞬間も当たり前に生きてるとは思えない。
明日も同じように今日が続くことが、当然だと思えない。
ただ、そういうものだと知っている、という感じ。
そして、私は思い出品も少ない。
私の大切な思い出は、私だけが覚えていればいいものであって
他の誰にも、共有してもらわなくていいもの。
私は、秘密主義ではないけど
私だけの大切な思いは、他のものと混ぜ合わせたくない
という思いが強くあります。
白いものは白のまま、カラフルにならなくていい。
だから、大切だと思うことほど、あえて話さないのでしょう。
でも、ネガティブではないよ♡
私に対する思い出は、それぞれの人の中に、有ればいい。
忘れられるなら、それでいい。
モノで残る必要はない。
私がカラフルにしたくないものほど、
大切に、
大切に、
胸にしまって、
そっと、
手放す。
その瞬間、私の中に
何とも混じり合わないそのままの、キレイなものが
ひとつ増える。
*
これまで誰にも話したことのない話を、出してみました。
『死』という文字を書くのは怖いですね。
先に話した通り、私の中にあるそれは文字にしたものとはまるで違います。
怖さはないのです。
だから当たり前に持っていられるんだと、いま思いました。
これからも、変わらずそばにあるのでしょう。
「生きると死ぬは同じこと」
その意味がほんの少しだけ、わかるような気がした十五夜の前日でした。