今日の投稿は、いつもの投稿とは趣が違います。


ザワっとした人は、すぐ回れ右。そっと画面を閉じてくださいね。






私の人生観というほどでもないけど、

常に私の中にあったけど、口にも言葉にもしたことのない話をします。




いろいろ繋がることがあって
いまがタイミングかな、と思っただけです。









どこに何があって、

そこに無ければ他のどこにもない、


家族が何かを探す時間のほとんどいらない家。




私が作っているのは、そういう家で

実際そういう状態に近いと思う。





何故、そんな家を作るのか?

その理由は

私の中にずっとある、特別だけど当たり前、にある思いから。





それは『死』。




文字にすると怖いですね。


でも、私にとってはそこまで怖いものではないというか。




不思議と、いつの頃からか

『死』は普通に私の中にあるものでした。





明日、

あるいは

次の瞬間、


自分が生きているとは限らない。





そう自然に、私のすぐそばに当たり前にありました。






私は死にたいという願望はないし

死にたい、と思ったこともありません。


消えてなくなりたい、はあるけれど、それは一時の感情の話。






だから私は


いつも、


『私がいつ居なくなっても誰も困らない家』



を裏の、秘密の、コンセプトで作ってきました。





表は、いつ誰がどこを開けても大丈夫な家♡






両方とも本当。


でも、気持ち的には裏の方が強いかも。





何度も言いますが、死にたい訳じゃないです。
ネガティブなものとして捉えないでね。




ただ、

次の瞬間も当たり前に生きてるとは思えない。

明日も同じように今日が続くことが、当然だと思えない。

ただ、そういうものだと知っている、という感じ。





そして、私は思い出品も少ない。



私の大切な思い出は、私だけが覚えていればいいものであって

他の誰にも、共有してもらわなくていいもの。




私は、秘密主義ではないけど


私だけの大切な思いは、他のものと混ぜ合わせたくない

という思いが強くあります。




白いものは白のまま、カラフルにならなくていい。




だから、大切だと思うことほど、あえて話さないのでしょう。


でも、ネガティブではないよ♡





私に対する思い出は、それぞれの人の中に、有ればいい。



忘れられるなら、それでいい。

モノで残る必要はない。




私がカラフルにしたくないものほど、


大切に、

大切に、

胸にしまって、


そっと、


手放す。




その瞬間、私の中に


何とも混じり合わないそのままの、キレイなものが


ひとつ増える。












これまで誰にも話したことのない話を、出してみました。


『死』という文字を書くのは怖いですね。



先に話した通り、私の中にあるそれは文字にしたものとはまるで違います。



怖さはないのです。


だから当たり前に持っていられるんだと、いま思いました。




これからも、変わらずそばにあるのでしょう。





「生きると死ぬは同じこと」

その意味がほんの少しだけ、わかるような気がした十五夜の前日でした。