赤嶺知矢子です。

 

 

 

 

私は、家事をよくします。

 

 

パソコンの前に座っているか、家事をしているか、そのどちらかです。

 

 

 

すごいね、と言われることも少なくありません。

 

 

 

ですが、私はすごいとは一ミリも思いません。

 

(すごいね、と言ってくれることは嬉しいです♡)

 

 

 

私の中で、家事は、自分のご機嫌をよくするための手段だから。

 

 

 

 

つまり、誰のためでもなく、自分のため。

 

それ以上でも以下でもないのです。

 

 

 

だから、すごくなんかないのです笑

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごいね」、という人の心は

 

 

女性として、母親として、大人として、とか

 

きっと様々あるのでしょうが

 

 

 

私の中にはそういったものは、ほとんどありません。

 

 

 

女性だろうが

 

母親だろうが

 

大人だろうが、

 

 

家事も

 

片付けだって

 

 

やらなきゃいけないものではないのです。

 

 

 

やりたいなら、やればいいし

 

やりたくなければ、やらなくていい

 

 

 

私は常々、そう思っています。

 

 

 

それでも、できない=ダメな私、という図式の人は多いのです。

 

 

 

というのも、ちょっと前の私もそうでした。

 

 

 

きちんとできる、ということに価値を見出していました。

 

 

 

 

家事はきちんとできなくたって、生きていけます。

 

片付けは、してもしなくてもいいもの。趣味の問題です。

 

 

 

だから、できないことを恥じる必要はないし、

 

 

出来る人と比べて、落ち込む必要はないのです。

 

 

 

 

 

『やらなきゃ』ではなくて、『やりたいのか』『やりたくない』のか。

 

 

基準をそこに。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やる気はしないけど、やったら後が楽」⇒自分で『やる』を選択している。

 

「やりたくないけど、やらないと何か言われるから」⇒自分で『やる』を選択している。

 

 

 

つまり、どんなに「やりたくない」「めんどくさい」と思っていても

 

『やる』を選択している時点で、

 

 

消極的であるにしろ、あなたは、それをやると自分が決めたのです。

 

 

 

 

そこを受け入れないと、やらされている感がぬぐえない。

 

「自分だけが」と思ってしまうのです。

 

 

 

 

 

 

家事のひとつひとつは、私からの、ちょっと先の私へのプレゼントです。

 

 

きれいが好き。きれいが落ち着く。

きれいでなければ落ち着かない。ゆっくり休めない。

 

 

そんな私を知っているから、ちょっと先に休む私へプレゼントをするために、いまの私が少し頑張るのです。

 

 

きれい、というプレゼントを。

 

 

 

少し、しんどい時もある。

 

やりたくないな、と思うときもある。

 

だって私、掃除は好きじゃないし。

 

 

 

 

家事が好きだから、嫌いだから、ではなくて。

 

 

つまりは、自分への愛なのです♡

 

 

 

家事をして喜ぶ自分がいないのであれば、やらなくていいのではないですか♡

 

 

手放すと、案外やってくれる人はいるものですよ。