映画「落下の解剖学」…哀しい家族の結末. | チャコティの副長日誌

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主役になれない人生を送るおじさんの心の日記.
猫と映画、絵画、写真、音楽、そしてF1をこよなく愛する暇人.
しばし副長の心の彷徨にお付き合いを….



原題:Anatomie d'une chute 製作年:2023年
製作国:フランス 上映時間:152分



話題の作品なのに公開は少なめ、久々にTOHOおおたかの森にまで遠征して観賞
したのはカンヌでパルムドールを獲ったフランス映画.本年度累積48本目の鑑賞.
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これが長編4作目となるフランスのジュスティーヌ・トリエ監督が手がけ、2023年・
第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で最高賞のパルムドールを受賞
したヒューマンサスペンス.

視覚障がいをもつ少年以外は誰も居合わせていなかった雪山の山荘で起きた
転落事故を引き金に、死亡した夫と夫殺しの疑惑をかけられた妻のあいだの
秘密や嘘が暴かれていき、登場人物の数だけ真実が表れていく様を描いた.

人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳の少年が血を流して
倒れていた父親を発見し、悲鳴を聞いた母親が救助を要請するが、父親は
すでに息絶えていた.当初は転落死と思われたが、その死には不審な点も多く、
前日に夫婦ゲンカをしていたことなどから、妻であるベストセラー作家の
サンドラに夫殺しの疑いがかけられていく.

息子に対して必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、事件の真相
が明らかになっていくなかで、仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、
夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が露わになっていく.

女性監督による史上3作目のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作.
主人公サンドラ役は「さようなら、トニー・エルドマン」などで知られるドイツ出身
のサンドラ・ヒュラー.
第96回アカデミー賞でも作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の
5部門にノミネートされた.

以上は《映画.COM》から転載.
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“落下の解剖学”という邦題は言い得て妙と言うか、“学”と付けた語感が
強くなってしまった感がある.フランス語の原題Anatomie d'une chute、
はニュアンス的には「落下(転落)の解剖」が妥当な気もする.

あらすじだけを見ると、謎解き、捜査、推理といったイメージが湧き上がって
きそうだが、しかしこの映画の本質は紛れもなく「家庭ドラマ」.
あるいは家庭生活という名のサスペンスだと感じた.

後半は、夫サミュエルを死に至らしめた落下(転落)の真相を裁判で解き
明かすことが中心になる.だがそれだけでなく、愛と信頼で築かれていた
はずの夫婦の関係が、社会的成功の差、家事育児の負担、息子が抱える
障害などさまざまな要因によって崩れ落ちていくさまが裁判を通じて
あらわになることも示唆する“落下”(崩落)がダブルミーニングになっている.

この法廷劇によって周到にメスが入れられ一つ一つ明かにされていく状況は、
恐らくどの家庭や夫婦でも身に覚えのある切実かつ根源的な問題.
妻であり母であり、成功した作家でもある主人公役のサンドラ・ヒュラーの
表情が鮮烈で、彼女が怪しいのか、それとも我々の偏見や先入観なのか、
観る者もまた非常に不可解な境地に立たされる.

同時に、弱視の息子が手探りで真相を掴み取ろうとする健気な様が
胸を打つ.父親が苦しんでる理由は薬なのだと思いこみ、飼い犬の
スヌープにアスピリンを飲ませるシーンには腰が引けてしまった.
子供ながらの探究心が故にやってしまった事とはいえ、実際に死ぬ
間際までスヌープがなっていたのを見ると、この子もあの父と母の子
ではあるなぁと妙な感心をしてしまう.
 

 

しかし、飼い犬スヌープを演じたボーダーコリーの演技は素晴らしい.
アスピリンで目を開けたままぴくぴくなったり、人の心を見透かすような
三白眼で見つめるところなど、ヘタな役者顔負けの演技を見せてくれる.

裁判については、自殺か他殺かという点が焦点となるが、物的証拠が
無いため検察側も弁護側も印象操作で争う形となり、フランス式裁判の
進め方も含めてかなり興味深い内容となっている.

サンドラの弁護をする古くからの友人?ヴィンセント:スワン・アルローは
言う「君が殺したかどうかは興味が無い、殺していないように如何に振る
まうかが大事だ」と.いかに印象操作に重きを置き、陪審員へ印象づけるか
を競うのが法廷だと言わんばかりなのには驚く.
 

 

裁判は検察側と母親と弁護人中心に進んでいくが、最後に息子が証言
するシーンで裁判も物語も終結に向かっていく.
息子と父親との絆が逆に息子へ残酷な真実を伝えることになったという
ところが、悲劇的.法廷物の形式であるがゆえ当然ながら裁定は下される.

揺るぎない真実が明らかになってすっきり解決、という結論の映画ではない.
むしろ解釈の揺らぎや余白を観客側が想像で補うタイプの作品であり、
いつまでも落ち続けているような、落ち着かない“もやもや”を感じる作品.

サンドラは頭が良く才能に溢れ、周りの人々は彼女に惹かれずにはいられない.
一方で、仕事ができる人間にありがちな、周りの人々を利用する事を厭わない
面もある.そんな彼女の夫が、才能のなさや境遇を克服する強さを持たず、
妻の不誠実さをなじることでしかプライドを保てないほど弱かったはゆえに
起きてしまった悲劇.

推定無罪という裁判の基本はサンドラに微笑みを与えた…だけ.