父親の病院付き添いなどで日にちが空いてしまいました。

19年前の旅行記、完結編です。

残り3日。

 


2003年10月22日

インド入国から23日目、ネパール1日目

 

 

3日以内ならビザ不要という当時のルールで、無事ネパールに入国できた。 

 

空港から5kmほど離れた、中心地のタメル地区へ移動する。

 

しかし現在の所持金は4,000円弱ゲロー


もしネパールで手持ちの国際キャッシュカードが使えなかったら、残りの2泊3日をホテル代・タクシー代込でこれで過ごさないといけない。

 

少しでもお金を節約するため、外に出てローカルタクシーを拾うことにした。

節約はバックパッカーの基本なのだ。


(お借りしました)

 

小さな国際空港。外に出てもインドと違って誰も寄ってこない。

隣の国なのに国民性は全然違うようだ。


停まっているタクシーを見つけて声を掛ける。タメル地区まで250ネパールルピーと言われ、相場がわからないのでそのまま乗る。

 

タクシーが出発する直前、どこから現れたのか、いきなり助手席に若い男の子が乗ってきてドアを閉めた。

びっくりマークはてなマーク

 降りてと言おうにもタクシーは動き出している。

 

驚き「Why?なぜ乗ってきてるんですか?」

 

ウシシ「大丈夫、私は彼(運転手)の友人です。観光案内しますよ?」


むかつき「結構です!」

 

18歳位だろうか?猫なで声と作り笑顔が怪しかった。

 

はあ・・・。ネパールはインドよりずっと平和なところと思っていたのに。

 

案の定、自分が知っているいいホテルがあるのでそこに泊まれと言われ、断ってもしつこかった。



安宿街、タメル地区に着いた。

なんとか自分が泊まりたいゲストハウスで降ろしてもらった。

 

ゲストハウスのロビーに入ると、この若い男とタクシー運転手も一緒に入ってきて、フロントの女将さんにネパール語で何か怒鳴りつけている。


どうやら「客を連れて来たからマージンを払え」と言っているようだった。

 

むかつき「私はガイドブックを見て自分の意志でここに来たんです!」

 

言い返したが、女将さんは私に「いいから、いいから」という手ぶりをして、早く出ていけという風に彼らに少額のお金を渡して追い払った。

 

若い男のさっきまでの猫なで声と作り笑顔はどこへやらチーン…豹変して怖かった。


高くてもプリペイドタクシーに乗ればよかった。女将さんには悪いことをしたショボーン



宿はドル払いだった。

(宿の名前はメモしておらず不明)

2泊すると告げ、合計8ドルを支払った。


ガイドブックに載っている宿だったので、日本人男性が5人位泊まっていた。


全員一人旅…というより、長期でここに滞在しているようだった。

沈没というやつだ。

 

ここネパール、カトマンズのタメル地区もタイのカオサンロードに続くバックパッカーの聖地で、観光もせずダラダラと安宿に長期滞在する沈没地として有名らしい。


親切にも夜ご飯に誘ってもらったが、皆のあまりにもボーボーに伸びた髪の毛とヒゲ、ボロボロの服に圧倒され驚き断ってしまった。



(お借りしました)


外に出てATMを何か所かあたったが、国際キャッシュカードが使えるATMが見当たらなかった。


どうやら明後日まで手持ちのお金で過ごさないといけないようだ。

タクシー代と宿代を払ったら残金は2千円ちょっとだったが、ここの物価ならやっていけそうだ。


何かあったら終わりだけどね…


ネットカフェに行ったら、1週間前にタージ・マハルを一緒に見学したカズくんからメールがきていた。


明日の早朝にカトマンズに着くから、もしネパールにいるなら一緒に観光しようとのことだった。


喜んで自分のいる宿名を返信しておいた。



この日は一人寂しく夜ご飯。

カトマンズは日本食レストランが多いでも有名だったので、23日ぶりに日本食レストラン「桃太郎」で、カツ丼を食べた。


宿の沈没組とはかかわらず、一人寂しく寝た。

 

 

海外でいくら気を付けていても、タクシーが出発する瞬間に、助手席に他の男性が乗ってこられたりしたら防ぎようがないですねタラー