醜態を晒す勇気ある? | 映画監督笠原悠暉のかんながら日記

映画監督笠原悠暉のかんながら日記

私の馬鹿馬鹿しくてゆかいな日々をお届けします。

 

演技
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作詞
脚本
演出




すべてに置いて作る人の人間性が出ます
そしてそれは自分の醜態を晒すことでもあります



例えば・・
今つんく♂さんのサロンでは映画の主題歌作詞コンペがあり、サロンメンバーから寄せられた詩をつんく♂さんが赤ペン先生になって直すというすごい企画が行われています!





そこで私が出した歌詞の定義はこちら


監督からの要望
現状だと作品の主人公の応援歌に聞こえるんで、もっと女性像の枠を広げて日本中の女性が聞いてグッと来る歌詞で。
男性視点頑張る女性に手放しで拍手を送っているイメージ。
感覚として近いのはSMAPの「DEAR WOMAN」
頑張っている女性って一人で誰の助けもなくて孤独に頑張っているイメージなんだけど、どこかでそれを見ている男の人がいて「凄いな、素敵だな」って言ってくれる人がいたら女の人はもっと輝ける。
曲を聴いた女性たちが勇気もらえて、男の人が聞いたら女性を応援したくなるようなそんな曲がいいです。
歌詞の登場人物もたった一人個人ではなく男性の集合意識の代弁者のイメージ。

 



これ、あとから思うとめちゃめちゃ難しい注文だったなって思いました。



欲しいのは男性目線から無条件に女性に贈られる讃える拍手


男性が作詞する場合
普段から女性をどう見ててどう思っているか諸バレます

 



女性が男性目線で作詞する場合
普段から男性にどう思われたいかが諸バレます

.

この歌詞の主人公はクソガキではなく、ある程度達観した大人の男性であってほしいので一種の悟りに近いものを知っている必要がある。




だから普段から思考がガキ臭いと
詩もガキ臭くなるの



怖くない?
表現をするって今の自分の醜態を晒すことなんだよ。



だから普段がすごく大事なの。
演技・脚本読解、すべての表現において自分が出る。




だからある意味で恥をかくことに対してあきらめないといけない部分もあるし、その時の為に普段からすべての物事に関してどう思っているか意見を持ってないといけなくってしかも人として成長し続けないといけないの。



じゃあ成長してから表現を始める?



いやいや、人間は死ぬまで成長なんで完璧になる前に死にます。



だから
勇気をもって醜態を晒す
恥をかく
成長し続ける


俳優さんたち
私は普段の行いからみんながどれだけ芝居ができるか、成長するか判断してるよ。



そしてもちろん私も誰かにそうやって評価されている。