中山道あるき旅(第29日目その2 鳥居本宿-武佐宿) | 本日も一日一歩

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仕事の合間に、街歩きや読書をしています。見たこと、感じたこと、考えたことを少しづつでも綴っていきたいと思います。

(その1からの続き)

 

 豊郷町から愛荘町(あいしょうちょう)に入った。

 14時07分、愛知川宿入口のゲートを通過した。

 愛知川と書いて「えちがわ」と読む。

 

 

 ポケットパークには、歌川広重の浮世絵図「恵智川」、後ろの壁にも絵がある。

 

 

 無賃橋(むちんばし)の絵だ。

 江戸時代の橋は、通行料を支払うのが普通だったが、地元の町人たちが橋を建設し、慈善事業として無賃としたため、多くの旅人に喜ばれた。

 

 

 現在の愛知川宿の街並み。

 

 

 大正15年(1926)竣工の近江銀行愛知川支店の建物は、現在、「愛知川ふれあい本陣」となって中山道に関する様々な観光案内などがあった。

 

 

 江戸時代から続く老舗の料理旅館「竹平楼」と「明治天皇御聖蹟」碑。

 明治11年、明治天皇が民情視察のため北陸東山道を巡幸した際、竹平楼(当時は竹の子屋)に立ち寄り小休された。

 侍従長の岩倉具視をはじめ、大隈重信、井上馨、山岡鉄舟など明治を築いた重鎮らもお伴したとのことだ。

 

 

 明治天皇が休憩された地であるため、人々は地区名を御幸町として後世にその誉れを伝えている。

 

 

 東近江市に入った。

 街道沿いに立つ「中山道 名残りの松」。

 江戸時代、街道沿いにあった松並木は、今ではわずかしか残っていない。

 この松は、街道が国道となった戦後、多くの車両通行による土埃りや排気ガスを浴びながらも、風雪に耐えて今でも緑を保っている貴重な松となっている。

 

 

 「てんびんの里 五個荘」と書かれた大きな掲示板には、江戸時代の中山道絵図が拡大されている。

 天秤棒(てんびんぼう)を肩に全国を回った近江商人の中でも、江戸後期から明治・大正にかけて活躍したのがここ五個荘(ごかしょう)の商人なので「てんびんの里」と称しているようだ。

 

 

 呉服繊維商の市田庄兵衛家の本宅。

 京町家風商家の建築様式で保存されている。

 

 

 大名などの小休所、茶屋本陣を務めた片山半兵衛家。

 

 

 石塚一里塚跡。

 

 

 中山道が国道8号線に合流する地点に立つ「てんびんの里」モニュメント。

 天秤棒を担いだ近江商人の像だ。

 

 

 清水鼻(しみずはな)の名水。

 湖東三名水の一つと言われる湧き水でのどを潤した。

 

 

 国道8号線から別れ、中山道の雰囲気を残す旧道を歩いた。

 東近江市から近江八幡市に入った。

 

 

 奥石神社の鳥居前を通過。

 

 

 西生来(にしょうらい)の一里塚跡。

 

 

 武佐宿(むさじゅく)に入った。

 脇本陣跡。

 

 

 「ここは中山道第六十七番宿場武佐宿です」との案内板がある。

 近江八幡市の中学生が描いた絵がある。

 「象の通った道」という題で、享保13年(1728)6月に輸入された象が、翌年3月に江戸の将軍に献上される途上、ここ武佐宿で一泊した際の様子を描いたものだ。

 

 

 武佐宿の街並み。

 

 

 武佐宿本陣跡の下川家。

 

 

 16時19分、この日のゴール、近江鉄道武佐(むさ)駅に着いた。

 

 

 近江鉄道に乗った。

 

 

 この日は、コンフォートイン近江八幡に投宿。

 今まではなるべく安く泊まるため、ゲストハウスやネットカフェで泊まることが多かったが、今回は久しぶりに普通のビジネスホテルに泊まった。

 

 

 というのも全国旅行支援を利用したので、宿泊代は4割引きの4,160円。

 さらにお土産代に利用できるクーポン券を3,000円分もらえたので、実質千円ちょっとで泊まれたことになる。

 

 

 12月9日の歩行距離は、26.4km。