(その1からの続き)
豊郷町から愛荘町(あいしょうちょう)に入った。
14時07分、愛知川宿入口のゲートを通過した。
愛知川と書いて「えちがわ」と読む。
ポケットパークには、歌川広重の浮世絵図「恵智川」、後ろの壁にも絵がある。
無賃橋(むちんばし)の絵だ。
江戸時代の橋は、通行料を支払うのが普通だったが、地元の町人たちが橋を建設し、慈善事業として無賃としたため、多くの旅人に喜ばれた。
現在の愛知川宿の街並み。
大正15年(1926)竣工の近江銀行愛知川支店の建物は、現在、「愛知川ふれあい本陣」となって中山道に関する様々な観光案内などがあった。
江戸時代から続く老舗の料理旅館「竹平楼」と「明治天皇御聖蹟」碑。
明治11年、明治天皇が民情視察のため北陸東山道を巡幸した際、竹平楼(当時は竹の子屋)に立ち寄り小休された。
侍従長の岩倉具視をはじめ、大隈重信、井上馨、山岡鉄舟など明治を築いた重鎮らもお伴したとのことだ。
明治天皇が休憩された地であるため、人々は地区名を御幸町として後世にその誉れを伝えている。
東近江市に入った。
街道沿いに立つ「中山道 名残りの松」。
江戸時代、街道沿いにあった松並木は、今ではわずかしか残っていない。
この松は、街道が国道となった戦後、多くの車両通行による土埃りや排気ガスを浴びながらも、風雪に耐えて今でも緑を保っている貴重な松となっている。
「てんびんの里 五個荘」と書かれた大きな掲示板には、江戸時代の中山道絵図が拡大されている。
天秤棒(てんびんぼう)を肩に全国を回った近江商人の中でも、江戸後期から明治・大正にかけて活躍したのがここ五個荘(ごかしょう)の商人なので「てんびんの里」と称しているようだ。
呉服繊維商の市田庄兵衛家の本宅。
大名などの小休所、茶屋本陣を務めた片山半兵衛家。
石塚一里塚跡。
中山道が国道8号線に合流する地点に立つ「てんびんの里」モニュメント。
天秤棒を担いだ近江商人の像だ。
清水鼻(しみずはな)の名水。
湖東三名水の一つと言われる湧き水でのどを潤した。
国道8号線から別れ、中山道の雰囲気を残す旧道を歩いた。
東近江市から近江八幡市に入った。
奥石神社の鳥居前を通過。
西生来(にしょうらい)の一里塚跡。
武佐宿(むさじゅく)に入った。
脇本陣跡。
「ここは中山道第六十七番宿場武佐宿です」との案内板がある。
近江八幡市の中学生が描いた絵がある。
「象の通った道」という題で、享保13年(1728)6月に輸入された象が、翌年3月に江戸の将軍に献上される途上、ここ武佐宿で一泊した際の様子を描いたものだ。
武佐宿の街並み。
武佐宿本陣跡の下川家。
16時19分、この日のゴール、近江鉄道武佐(むさ)駅に着いた。
近江鉄道に乗った。
この日は、コンフォートイン近江八幡に投宿。
今まではなるべく安く泊まるため、ゲストハウスやネットカフェで泊まることが多かったが、今回は久しぶりに普通のビジネスホテルに泊まった。
というのも全国旅行支援を利用したので、宿泊代は4割引きの4,160円。
さらにお土産代に利用できるクーポン券を3,000円分もらえたので、実質千円ちょっとで泊まれたことになる。
12月9日の歩行距離は、26.4km。