最近、ちょっとしんどいのよ。
朝まで一睡も出来ないか、何十回も目が覚めるか、どっちにしてもほぼ眠れていない。
雨が続いて天気が悪いから、いろんなバランスが崩れてるのかなあと思ったり・・・。
舅が毎日裏の畑に来るから、それに対しての感情も消化できずに毎日溜まっている感じ。
同居している人や、介護をしている人には申し訳ないし恥ずかしいんだけど、ぜ~んぶ受け入れられないんです。
車のギアを引きずりながら、爆音で行き来するのがストレス。
老人特有のヨチヨチ歩きが視界に入ってストレス。
倒れたらどうしようと、無駄な心配をし続けてしまうことがストレス。
クラクションを鳴らして人を呼ぶのがストレス。
黙って当たり前のように水道を使っていた(これは苗が大きくなったから終了)ことがストレス。
まだ77?8歳なんだけど、見た目は90過ぎのおじいさんなのよね。
曜日感覚はあるのか、土日は来ない。
パパが休みだからね。
舅は私が病気だということを知らない。
姑が「言う必要がない。」と言ったから、言ったことはない。
舅の畑に舅が来ることがしんどくてたまらない、なんて理由にはならず、そっとしておいてくれというのは《頭がおかしい人の言い分》だと私だって理解しているから、もちろん言えない。
なんで、こんなにしんどくなるのかもよくわからない。
意地悪されたりしたわけじゃないけど、結婚してからも幼児を育てているかのような過干渉が続いたのがしんどかった。
舅も姑も、家族のやり直しができると思っていたのかもしれない。
自分達が失敗したやり方の逆を進めばよかったのに、同じことをやっているんだと思う。
だから、姿を見るのもダメになってしまった。
舅に意見する人なんて、親族にもいないし家族にもいない。
水を使われてても理由を聞こうともせず、水栓を外すことで抵抗の意を表すパパ。
言ったら、ブチ切れるという表現がぴったりの返事をするようになって、もう老害を撒き散らして家族すら遠巻きにしているのよ。
そんな人が我が家の敷地で倒れたら・・・という恐怖で頭がいっぱいになって、ただただ無駄に疲れてる。
そんな私です。
でもね、病気になって良かったかもしれないとは思えるんよ。
確かに、ちょっとしたことがトリガーになってしまうことがあって、まだまだコントロール出来ないこともあるから、しんどいなぁとやり過ごすこともある。
人の優しさや努力している現実や、弱さを隠している姿に気づけるようにもなった。
とがっていた時は、正直「私は頑張ってるんだよ。わかってる。」って自分のことでいっぱいだったから。
舅も姑も、いまだに後期高齢者の年齢でとがってる。
そのとがりオーラを、こっちに持ちこまないで欲しいだけなのになあ。